大判例

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東京高等裁判所 平成3年(行コ)3号 判決

控訴人兼被控訴人(原告) 中出栄子

被控訴人(被告) 国

控訴人兼控訴人 中野労働基準監督署長

承継人(被告) 新宿労働基準監督署長

主文

一  第一審被告労基署長の本件控訴に基づき、原判決主文第一項を次のとおり変更する。

1  第一審被告労基署長が第一審原告に対し、昭和五八年一二月二日及び昭和六〇年八月二一日付けでした労働者災害補償保険法による休業補償給付及び療養補償給付を支給しないとの各処分、昭和六一年一月二二日、昭和六一年一一月四日付けでした同法による療養補償給付を支給しないとの各処分をすべて取り消す。

2  第一審原告の第一審被告労基署長に対するその余の請求をいずれも棄却する。

二  第一審原告の本件控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ、第一審原告と第一審被告国との間に生じたものは第一審原告の、第一審原告と第一審被告労基署長との間に生じたものはこれを二分し、その一を第一審原告の、その余を第一審被告労基署長の各負担とする。

事実

第一申立て

(平成三年(行コ)第二号)

一  第一審原告

(一)  原判決中、第一審原告敗訴部分を取り消す。

(二)  第一審被告国は、第一審原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年八月二二日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  訴訟費用は、第一、二審とも第一審被告国の負担とする。

(四)  第二項につき仮執行の宣言

二  第一審被告国

本件控訴を棄却する。

(平成三年(行コ)第三号)

三  第一審被告労基署長

(一)  原判決中、第一審被告労基署長敗訴部分を取り消す。

(二)  第一審原告の第一審被告労基署長に対する請求をいずれも棄却する。

(三)  訴訟費用は、第一、二審とも第一審原告の負担とする。

四  第一審原告

本件控訴を棄却する。

第二当事者の主張

当事者の双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  訂正等

1  原判決八頁一行目冒頭の「請求」の次に「(以下「本件給付請求」という。)」を、同四行目の「不支給処分」の次に「(以下、〈1〉の不支給処分を「第一回不支給処分」といい、〈2〉以降の不支給処分についても同様に表す。また、〈1〉から〈9〉までの各不支給処分を総称して「本件不支給処分」ともいう。)」を各付加する。

2  同九頁一一行目の「前項記載の各」を「本件」と、同二四頁九行目の「各」を「本件」と、同一一行目の「並びに」から同二五頁二行目の「いずれも、」までを「及び本件不支給処分は、東京労働基準局労災管理課地方労災監察官矢島学、第二次判定会議構成員の東京地方労災医員、東京労働基準局長、承継前の第一審被告中野労基署長及び第一審被告労基署長の」と、同五行目の「各」を「本件」と、同三六頁八行目の「別紙」を「原判決添付別紙(以下、単に「別紙」という。)」と、同三七頁一一行目の「中野」から同三八頁一行目の「各」までを「本件」と、同三行目の「中野労基署長の」を「前記」と、同三九頁五行目及び同五〇頁六行目の「各」を「本件」と各訂正する。

二  当審における主張

当審における当事者双方の主張は、別紙当事者の主張に記載のとおりである。

第三証拠〈省略〉

理由

第一本件不支給処分取消請求について

一  本件不支給処分の存在

第一審原告が昭和三九年四月に訴外銀行に雇用され、それ以来、請求の原因1項のとおりの業務に従事してきたこと、その間、頸肩腕障害と診断されて療養を続け、昭和五四年五月一二日から休業するに至ったこと、中野労基署長が、昭和五五年九月一二日付けで第一審原告の傷病を業務上の疾病と認め、昭和五四年五月一六日以降について休業補償給付及び療養補償給付を支給してきたこと、ところが、中野労基署長が請求の原因5項〈1〉ないし〈7〉記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、また、第一審被告労基署長が同項〈8〉、〈9〉記載の期間に係る請求について各記載の不支給処分の日付けをもって、いずれも、昭和五八年三月三一日治癒を理由とする不支給処分をしたこと、平成元年三月三一日の労働基準法施行規則の一部改正により、中野労基署長がした不支給処分は、第一審被告労基署長がしたものとみなされることになったこと、以上の事実は、全て当事者間に争いがない。

二  第一審原告の発病、症状及び治療経過

1  発病から第一回不支給処分時(昭和五八年一二月二日)までの第一審原告の症状及び治療経過

いずれも成立に争いのない甲第一号証の二ないし五、第二号証、第三号証の一ないし三、第二三、第五二、第五三号証、乙第二号証、第六号証の二、第七、第八号証、第九号証の一ないし五、第一〇号証の一ないし一二、第一一号証及び第二五号証の一ないし九の各一、二(甲第一号証の二ないし五、第二号証、第三号証の一ないし三、第二三号証については、原本の存在も争いがない。)、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証の一(原本の存在は争いがない。)、乙第三、第四号証、証人橋本卓の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一九号証の三、第一審原告本人尋問の結果(第一回)及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一三号証、第二九号証の四、(甲第二九号証の四の原本の存在は争いがない。)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 第一審原告は、訴外銀行において、昭和四二年九月から約定振替係の業務に就いたが、ここで領収スタンプの押印、加算機の操作、複写伝票の作成などの作業を反復継続するようになってから、肩、腕、肘の痛みを覚えるようになり、自分で湿布薬を貼ったり、ビタミン剤を服用したりしたものの、医師の治療を受けることはなかった。その後、第一審原告は、当座預金係で当座預金記帳機の操作や出納係で硬貨の運搬などの作業を続けたが、昭和四八年秋に至り、肩こりや右腕と腕の付け根の痛みのために右手で水道のコックも捻れないような状態となり、中野区内の病院で赤外線・マッサージ治療を受けるに至った。

(二) 第一審原告は、昭和五一年三月、外国為替係に配属されたが、同五三年五月には、腕だけであった痛みが背中から腰に広がり、毎週一回ずつはり・きゅうの治療を受けるようになった。訴外銀行では、昭和五三年一二月から外為事務のオンライン切替えの準備作業が開始され、同五四年二月に切替えが完了したが、この間、通常業務と並行して講習や伝票の作成作業が行われ、仕事が繁忙を極めたため、第一審原告は、同年一月に入ると、動悸が激しく、熟睡できず、肩こりも激しい痛みを感じるほどになり、同年四月末には、熱をもって腫れ上がるような肩こり、動悸があり、首の前と後ろに二本ずつ棒が入っている感じで首が前後左右に動かせないというような状態になり、同年五月一二日から休業するに至った。

(三) 第一審原告は、昭和五四年五月一二日、調布市内の病院で診察を受けた結果「頸肩腕症候群」(安静一〇日)と診断され、また、同月二五日に訴外銀行の診療所で「頸部筋々膜炎」(安静・加療一週間)と診断されたことから、訴外銀行が定める特別措置(訴外銀行の従業員に頸肩腕症候群等の職業性疾病が発症した場合、訴外銀行の指定医療機関で診療を受けた時に限り、業務上外を問わず、原則として一年間、賃金、療養費の全額を支払うというもの。)の適用を受けるようになった。その後、第一審原告は、同月二九日に初めて大師病院で受診し、「頸肩腕障害、腰痛症」(休業・加療一か月)と診断され、それ以来、同病院に通院して治療を受けながら、併せてはり・きゅうの施術も受けることになった。

なお、第一審原告は、同年七月、東京慈恵医科大学で「頸肩腕症候群」(加療一か月)と診断されたが、その後、大師病院に通院して訴外銀行の指定医療機関の診察を受けなかったことから、同年九月に前記特別措置の適用を除外されたため、中野労基署長に対し、業務上の災害を理由とする休業補償給付及び療養補償給付を請求し、その支給を受けることになった。

(四) 昭和五四年五月から治癒認定を受けるまでの第一審原告の症状及び治療状況等は、ほぼ別紙(2)記載のとおりであり、その間の各種検査結果は、別紙(4)「検査指数動向表」のとおりである。

(1) 右治療状況等及び各種検査結果によると、第一審原告は、昭和五四年五月二九日以降、大師病院で橋本医師の診察と治療を受けてきたが、その回数は、同年八月までは月に六ないし八回であり、同年九月から昭和五七年一〇月までの三年間は月に一、二回であり、同年一一月から昭和五八年三月三一日の治癒認定までは月に二ないし四回であった。

(2) 橋本医師は、毎週火曜日の午後半日をかけて頸肩腕症候群の患者を専門に診察治療し、その中でも難治性と思われる患者については、月に一回の特殊診療日(別紙(2)、(3)の「治療内容」欄に「特診」とあるのは、この特殊診療日における診療を意味する。)を設け、三か月に一度位の割合で、握力及び背筋力検査、CMI健康調査表による自律神経症状数検査、指尖脈波検査等の諸検査を実施するとともに、当該患者については、通常のカルテの他に頸肩腕症候群特殊カルテ(以下「特診カルテ」という。)を作成していたが、第一審原告については、難治性であるとして当初から右措置が採られた。

(3) 初診当時の主訴は、頸肩背腰部の疼痛であり、自覚症状は、頭痛、頸部回旋痛、肩背腰部のこり、右手背、足背のしびれ感、右腕脱力感、不眠症、耳鳴り、食欲不振等と多彩であり、他覚症状としては、頸肩背腰部・両上肢の高度の筋緊張、硬結、圧痛、頸部運動制限等があり、背筋力が相当に低下していた(頸部、腰部に外傷及び先天性の奇形による疾病、炎症性疾病、関節リュウマチ、退行変性による疾病等は認められなかった。)。これに対する橋本医師の指導は、休業の継続、毎日数回の規則的な頸腕・腰痛体操、週二、三回のはり・きゅう治療であったが、第一審原告が痛みのために右体操を積極的に試みることができなかったこともあって、昭和五七年一〇月ころまでは、自覚症状、他覚症状に若干の軽快、改善がみられたものの、治療の効果は不十分であり、かつ、持続時間も短時間であった。

第一審原告は、生活面でも、当初は流動食しか受け付けず、夏でも一日中部屋を閉め切って過ごすという状態で、その後、多少は改善されたものの、洗濯や炊事等の日常生活も不可能という状態が続き、運動療法や機能訓練等をするまでには至らなかった。

(4) 第一審原告は、昭和五七年一一月ころからは、他覚症状として、頸背腰部の筋肉の緊張、硬結があるものの、その程度は幾らか軽くなり、首の痛みも減少し、頸部の運動制限も緩和され、従前のような症状が次第になくなり、生活面においては、食事、洗髪、洗濯等の日常生活ができるようになり、治療面においては、大師病院の体操教室に入ってストレッチ体操などの運動訓練を開始し、同五八年一一月からは水泳訓練、同六〇年八月からはサイクリングを開始するようになった。

2  第一回不支給処分時(昭和五八年一二月二日)から第九回不支給処分時(平成元年九月二五日)までの第一審原告の症状及び治療経過

前掲甲第一三号証、第一九号証の三、第二三、第五二、第五三号証、いずれも成立に争いのない甲第三三号証、第三四号証の二、第六二号証、第六五号証、証人橋本卓の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第八号証、第一九号証の四(甲第八号証の原本の存在は争いがない。)、第一審原告本人尋問の結果(第一、二回)及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第二一、第二二、第三五、第三六、第五七ないし第六一号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証の一ないし三、第三四号証の一(原本の存在はいずれも争いがない。)を総合すれば、治癒認定から昭和六〇年一二月までの第一審原告の症状及び治療状況等は、ほぼ別紙(3)記載のとおりであり、同六二年までの各種検査結果は、別紙(4)「検査指数動向表」のとおりであることが認められるほか、更に次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 昭和五八年四月から同年一二月までの診察及び治療の回数は、四月は五回、五月から一〇月までは月に二ないし四回、一一月は九回、一二月は六回、同五九年一月から同年一二月までの右回数は、一、二月は五回、三月から九月までは月に二ないし四回、一〇月は五回、一一月は二回、一二月は一回であった。

その間の他覚症状は、軽快の傾向はあるものの、依然として頸背肩腰部の筋肉の緊張が続き、自覚症状は、昭和五八年中は大きな変化がなく、むしろ、治癒認定による労災保険の打ち切りに加え、訴外銀行から休職期間の経過による昭和五九年三月付け自然退職の通告を受けたことなどから、第一審原告は、精神的に動揺を来して愁訴が増加し、橋本医師の診察に際して、腹部・胸部の異常や動悸、絞やく感、息切れを訴え、顔面蒼白の症状を呈し、また、肝のう炎の疑いで検査を受けたりした。

(二) しかし、橋本医師は、全体的にみると改善の傾向にあるとして、通院回数が増えてきていた昭和五八年一一月二九日、「頸肩腕障害。右症状かなり改善安定化し、一二月一日以降一定期間就労訓練の一環として通勤訓練可能と認めます。」と診断し、第一審原告は、この診断を受けて同年一二月一日から通勤訓練に入った。この通勤訓練は、当初、週二日、一日一時間(当初は一〇分~一五分)、当時の第一審原告の勤務先であった訴外銀行永福町支店に通い、ロビーにおいて店内の雰囲気に慣れるというものであった。

第一審原告は、昭和五九年一月になると、他覚症状として、背肩腰部の筋肉に緊張はあるものの、筋肉が柔らかい日もあり、正月休みには、長野県まで家族でスキーに出かけて快適な一時期を過ごしたりした。しかし、通勤訓練に対する反応は余り良好とはいえず、第一審原告は、橋本医師に対し、「非常に疲れる」「全身の倦怠感がある」「いらいらする」「眠気が強い」「めまいがする」などと訴え、診察に際して、動悸、頻脈、眼瞼のけいれんなどの症状を呈することもあった。

(三) 橋本医師は、このような状況のもとで、昭和五九年三月二七日、筋硬結の程度、範囲はともに減少しているとして、「頸肩腕障害。右症状さらに改善、安定化しつつあり、四月以降、適正な業務内容、職場環境のもとにおいて、週三回通勤訓練可能と認める。」と診断し、これに基づき第一審原告は、以後その回数を週三回に増やしたが、折から、訴外銀行の診療所の医師も、同月三〇日付けで、「頸肩腕障害・腰痛。頭記疾病のためなお愁訴残存するも、いわゆる仮出勤は可能と思われる。但し、その内容については、状況に応じて配慮することがのぞましい。」と診断したことから、同年四月一日からは、一日二時間ずつ週三日出勤する職場復帰訓練を開始するに至った。この職場復帰訓練は、職場でリハビリのため実際に就労し、身体を勤務に適応させていくもので、この仮出勤に備えて、第一審原告は、同年四月一日、訴外銀行の永福町支店から東京営業部代理事務係に配置替えとなった。

(四) 仮出勤開始後における自覚症状に特に変化はなく、第一審原告は、橋本医師の診断に際し、疲労、全身倦怠、不眠のほか、いらいら、めまいなどを訴え、他覚症状も、背肩腰部の筋肉の緊張が続き、時には頸部の硬直もあったが、勤務時間は、昭和五九年八月からは一日四時間に、同年一〇月からは橋本医師の診断もあって一日五時間となり、その後も徐々に延長されていった(同年一二月からは週四日勤務となった。)。その後、昭和六〇年一月から同六三年一二月までの診察及び治療の回数は、ほぼ月に一、二回であり、当初は、自覚症状として、やや良好と調子悪いとが交錯し、他覚症状としては、主として、背腰部の筋肉の緊張が続いていたが、やや緊張、軽度緊張というのも見られるようになった。

なお、第一審原告は、昭和五九年三月末に、訴外銀行の診療所で健康診断を受け、健康管理区分B1の(3)、即ち、三か月ごとに健康状態をチェックして健康管理をしていく必要があるとの診断を受けた。

(五) その後、昭和六〇年三月末に、訴外銀行から、今後通常勤務扱いにする旨の申入れがあり、第一審原告は、不満ではあったがこの申入れを受入れ、同年四月からは通常勤務扱いとなった。通常勤務扱いとなった後も、勤務時間は、同年四月からは午前一〇時から午後三時三〇分まで、同年八月からは午前一〇時から午後五時までと徐々に延長された。そして、同年一〇月からは一週間連続出勤となり、更に、勤務時間は徐々に延長され、昭和六一年七月二三日からは就業規則どおりフルタイム体制(就業時間である午前八時三〇分から午後五時までの勤務体制)に入った。

昭和六〇年四月から同六一年一二月までの自覚症状は、疲労やだるさはあるものの、比較的良好に経過し、他覚症状も、背部や肩の筋肉が緊張、軽度緊張、やや緊張とされたのが一二回あったが、柔らかいが七回あり、特に昭和六一年後半からは、自覚症状も良好に推移し、背筋力もこの頃から目立って回復してきた。そして、第一審原告は、同六〇年八月には、上高地、槍が岳、西穂高の縦走を行い、同年一一月には丹沢、大山の登山、同六一年八月には、燕岳、槍が岳の縦走、同六二年八月には、白馬三山の縦走をするまでに回復した。

なお、第一審原告は、昭和六一年一一月一二日、訴外銀行における健康診断の結果、六か月ごとに健康管理のためのチェックを行う健康管理区分B1の(6)に変更された。

(六) 第一審原告は、昭和六〇年一〇月から一週間連続勤務に就いた後も、同六三年九月までは、週二日(月、木曜日)早退してはり・きゅうの治療を続けてきたが、同年一〇月からは、治療に必要な場合のみ随時早退することで足りるようになり、その回数も、月に五回から徐々に減らし、平成元年四月からは治療のための早退をしなくてもすむ完全就労体制に入った。昭和六二年一月から同年一二月までの間の橋本医師による診察時の症状は、他覚症状として、背部の筋肉の緊張が六回、やや緊張が六回あり、昭和六三年一月から同年一二月までの診察においては、緊張が六回あったが、柔らかいが五回あり、症状に大きな変化はみられなかった。

なお、第一審原告は、訴外銀行の健康診断(人間ドック)で、昭和六二年八月六日、総合健康管理区分D3―普通勤務、処置不要、今回の検査結果はきわめて良好との判定を受けた。

(七) 第一審原告は、平成元年には、月一回ずつ橋本医師の診察を受けたが、その際の他覚症状は、背部の筋肉の緊張が三回、やや緊張が四回あり、柔らかいが二回に止まり、従前と余り変化がみられなかったが、橋本医師は、同年一二月一二日、「頸肩腕障害。上記に対し、治療の結果、症状は著明に改善され、本年四月以降完全就労に復帰したが、その後症状増悪を認めず、本日をもって治癒と認める。但し、再発防止のため業務が過重にならぬよう配慮を要し、また、年二回定期的検診を行うことが望ましい。」と診断した。それ以来、第一審原告は、大師病院に通院していない。

三  本件不支給処分の違法性

1  本件不支給処分に至る経緯

(一) 三七五通達の策定と趣旨

原本の存在及びその成立につき争いのない甲第六七号証、成立に争いのない乙第四九号証、証人矢島学の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

労災保険法上のはり・きゅう施術に対する保険給付については、健康保険に準じた扱い(健康保険においては六か月を限度とする。)がされていたところ、各地のはり・きゅう施術に対する保険給付の実際にはかなりの不均衡があり、かつ、長期間に及んでいる事例もあった。そこで、労働省は、はり・きゅう及びマッサージの施術に係る保険給付について適正、公平な給付の実現を図るために、労働省労働基準局長名で、昭和五七年五月三一日、「労災保険における「はり・きゅう及びマッサージ」の施術に係る保険給付の取扱いについて」と題する通達(以下、「三七五通達」という。)を発したが、右通達において、はり・きゅう治療に関する労災保険の支給対象、施術期間につき次のとおり定められた。即ち、

(1) 支給対象

〈1〉 業務上等の疾病(以下「原疾患」という。)の治療効果がもはや期待できないと医学的に認められるものであって、原疾患の後遺症状としての疼痛、シビレ及び麻痺等の改善が期待し得るものとして、主治医がはり・きゅうの施術を行うことを必要と認め、診断書を交付したもの(以下「単独施術」と称する。)。

〈2〉 原疾患の個々の症状により、一般医療(主として理学療法をいう。)と、はり、きゅう施術を併せて行うことにより運動機能等の回復が期待し得るものとして、主治医が必要と認め、治療目的を明記した診断書によって指示を与えたもの(以下「併行施術」と称する。)。

(2) 施術期間

〈1〉 施術期間は、初療の日から九か月以内を限度とする(施術期間が初療の日から九か月を経過したものについては、その施術効果等について未だ統一的な医学的評価が定まっていない現状にあることから、原則として、療養(補償)給付の対象としない。)。

但し、初療の日から六か月を経過したものについては、改めて診断書又は指示書を必要とする。

〈2〉 初療の日から九か月を経過した時点において、はり・きゅう師に意見書及び症状経過表の提出を求め、更に医師に対しはり・きゅうの施術効果について診断・意見を求めその結果、施術効果がなお期待し得ると認めたときは、更に三か月(初療の日から一二か月)を限度に延長することができる。

右三七五通達では、はり・きゅうの施術期間が初療の日から一二か月を経過した場合の取扱いについて明確な記載はなかったが、右通達と同時に労働省労働基準局補償課長名で発せられた「労災保険における「はり・きゅう及びマッサージ」の施術に係る保険給付の取扱いの運用上の留意事項について」と題する事務連絡(以下「事務連絡第三〇号」という。)によると、はり・きゅうの施術期間が初療の日から一二か月を経過した場合の取扱いについて、〈1〉単独施術を行っている者は、たとえ慢性的な症状が持続したとしても、当該傷病については「症状が固定」したとして「治癒」と認め、療養の対象から除外すること、〈2〉併行施術を行っている者は、はり・きゅうの施術については療養の対象としないものであるが、この場合には医師に一般医療の継続の要否等について意見を求めて対処すべきものであり、必要に応じて受診命令による診断又は専門医の診断を求めて行う。なお、一般医療によっては原疾患について治療効果が期待できないと医学的に認められたものについては、単独施術として一二か月を限度に療養補償給付を認めることができるものとされた。また右事務連絡において、三七五通達の経過措置として、同通達の施行日前のはり・きゅうの施術期間が三か月を超える者については、施行日(昭和五七年七月一日)を初療の日から起算して三か月を経過した日とみなされる取扱いとなった。

(二) 八六五通知の策定と趣旨

成立に争いのない乙第三三号証、第四〇号証、証人矢島学の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

東京労働基準局は、三七五通達を受けて、同通達の円滑な実施を進め、併行施術の有無及び長期療養者の症状固定の判別等を適正に行うことを目的として、昭和五七年一二月二二日、東京労働基準局長名で「ハリ、キュー受診、九か月経過者に対する取扱について」と題する通知(以下「八六五通知」という。)を発したが、右通知において、昭和五七年一二月三一日で、はり・きゅう施術期間九か月が満了する者を対象として、はり・きゅう受療者個人別判定表(以下「個人別判定表」という。)が作成されることとなり、その作成要領が定められ、また第一次判定会議、第二次判定会議が設置されることとなり、その審議方法と検討事項並びに判定基準としての具体的判定事項とその判断方法に関する細目等が定められた。更に、はり・きゅうの施術期間九か月の到来が見込まれる者の主治医に対し、意見書の提出依頼をするよう各労基署長に指示がされた。

(三) 第一次判定会議及び第二次判定会議の開催と検討状況

前掲乙第四〇号証、成立に争いのない乙第四三号証、証人井上幸雄、同矢島学の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

東京労働基準局及び各労働基準監督署は、八六五通知にしたがって、個人別判定表を作成したが、同表の記載事項のうち、はり・きゅうの受療回数、休業補償の支払状況、傷病の経過等については各労働基準監督署が費用請求書及び同添付資料に基づいて記載し、それ以外の療養内容等については東京労働基準局がレセプトに基づいて記載した。そして、右個人別判定表の他過去一年間の費用請求書、レセプト、主治医及びはり・きゅう師からの診断書・意見書が第一次判定会議の各人別資料として準備された。

第一次判定会議は、東京労働基準局及び各労働基準監督署の担当者で構成され、昭和五八年一月二四日から二八日までの間各労働基準監督署ごとに開催されたが、同判定会議では前記各人別資料に基づき、八六五通知の判定基準に照らして審議され、判定の対象となったはり・きゅう受療者を八六五通知の別紙2の1(1)の〈1〉ないし〈5〉に分類する作業が行われた。即ち、〈1〉理学療法とはり・きゅう施術の併用者と認定されるが、なお三か月間、併用が有効であると認められるもの、〈2〉理学療法とはり・きゅう施術の併用者と認定されるが、はり・きゅう施術の効果が期待できないもの(今後なお三か月間延長する理由がないもの)、〈3〉理学療法とはり・きゅう施術の併用者と認定されるが、今後理学療法の効果が期待されず、はり・きゅう施術のみの効果が期待出来るもの、〈4〉はり・きゅう単独施術を受療してきたものと認定されるが、今後なお三か月間の施術延長により治療効果が期待できるもの、〈5〉急性症状が消退し慢性症状が持続していても既に治療効果が期待できず、治癒(症状固定)と認められるものに分類された。その結果、三五八名のはり・きゅうの長期受療者のうち約一八〇名が第二次判定会議において審議すべき対象者とされた。

第二次判定会議は、第一次判定会議において八六五通知の右〈4〉及び〈5〉と判定されたものについて、労災保険法に基づく支給を打切るという右判定が医学経験則上の合理性を保持しているか否かを確認するために昭和五八年二月七日に開催された。右判定会議は五名の東京地方労災医員(整形外科医等の専門家)で構成されていたが、予め配付されていた前記各人別資料に基づき約一八〇名の審議が行われた結果、第一次判定会議における判定結果が承認され、各労基署長を通じて各人にその結果が通知された。

(四) 第一審原告に対する判定経過

前記当事者間に争いのない事実に加えて、前掲乙第四〇号証、成立に争いのない乙第一三ないし第一七号証(第一三号証は原本の存在も争いがない。)、第一八号証の一、二、第一九ないし第二一号証、第二九ないし第三四号証、第三六号証の一ないし一一、第三七号証、第四一号証、第四二号証の一ないし二九、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証の一、二、証人井上幸雄、同矢島学の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

第一審原告は、頸肩腕障害が昭和五五年九月一二日付けで「業務上の疾病」として認められ、同五四年五月一六日以降の休業補償給付及び療養補償給付の支給を受けてきたが、三七五通達の経過措置によりはり・きゅう治療に関して、同五七年七月一日をもって初療の日から三か月を経過した受診者としてみなされることになり、八六五通知により同年一二月三一日で、はり・きゅう施術期間が九か月を満了する者として判定会議の対象者となった。

右判定会議のために第一審原告の判定資料(乙第四二号証の一ないし二九、以下「本件判定資料」という。)として準備されたものは、過去一年間の費用請求書及びこれに添付されたはり・きゅう院の領収書、東京労働基準局に提出された大師病院のレセプト、昭和五七年六月二一日付け休業補償給付に係る傷病の状態等に関する報告書及びこれに添付された同月七日付け大師病院橋本医師の診断書、同年八月一〇日付け大師病院橋本医師のはり・きゅう診断書、同年一二月九日提出の小室鍼灸院小室彰夫の意見書、同五八年一月一一日付け大師病院橋本医師の意見書(九か月経過時の主治医の意見書。但し、第一次判定会議後、第二次判定会議前の同年一月二六日提出)並びにハリ、キュー受療者個人別判定表であり、第一審原告が大師病院で継続的に受けていた各種検査結果やカルテ等は判定資料とされなかった。

本件判定資料によると、昭和五六年一二月から同五七年一一月までの一年間における第一審原告の通院回数、診療実日数は合計一七回で、その際第一審原告は月に八回分程度の内服液の投与を受けたりしたほか、消炎・鎮痛を目的とした理学療法(ホットパック)を一三回、CMI検査等を三回受けていたが、その間一般治療と併行して月に八回ないし一二回程度はり・きゅう治療を受けていた。

第一審原告の傷病の状態及び治療効果等に関して、大師病院のレセプトの傷病の経過欄には「加療により症状徐々に軽減するも引きつづき加療を要す、体操指導する」と、また費用請求書の傷病経過の概要欄には「加療により症状徐々に軽減するもひきつづき加療を要す、尚針灸治療に同意する」と、記載枠が狭かった事情があるものの、ほぼ同一の傷病経過が定型的に記載されているにすぎなかったが、中野労基署長の依頼(昭和五七年一二月一三日)に基づく昭和五八年一月一一日付け大師病院橋本医師の意見書には、当時の第一審原告の症状及び治療効果について、

「1 主訴 頸、肩、背、腰部のこり、倦怠感、疼痛。

2  他覚所見 頸、肩、背、腰部の筋緊張、硬結。

3  症状の経過 症状はなおかなり不安定であるが、全体とし改善されつつある。

4  運動機能障害の内容 運動機能障害は認められない。

5  今まで行ってきた治療の内容及びその効果 運動療法を主して、月九ないし一二回の鍼・灸治療を行っている。

6  鍼・灸施術を今後三か月継続して期待できる効果 諸症状なお改善を期待できるが、鍼・灸治療の併用により、なお一層の効果が期待できる。」

と記載され、同じく同五七年一二月九日提出の小室鍼灸院小室彰夫の意見書には、

「(主訴及び自覚症)

1  左右腕のだるさ及び動きの悪さ

2  頭痛、眼痛、背部(特に肩甲骨内側)の痛み、腰部の痛あり

3  手足の冷え

4  不眠等

(依頼事項にかかる意見)

1  主訴及び自覚症に同じ

2  初療時に比べ頸部は楽になり痛みのでる回数が減り、手足のむくみ等が軽減し、背部肩甲骨内側の痛みは一進一退で、症候は施術後は軽減しているが持続性がなく、かなり重い障害である。

3  日常規則的な生活を今まで通りに確立し、体操及び運動療法及び施術を行えば症状改善の効果の可能性大

(施術方針)

今後も鍼・灸(電気鍼)により、左右の腕、背腰部、頸部等の要穴に施術を行う。」

と記載され、いずれも運動療法にはり・きゅう治療を併用することにより症状改善の効果が期待できる旨の意見が述べられていた。

第一審原告は、昭和五八年一月二四日、第一次判定会議にかけられたが、まず、はり・きゅう施術の単独施術者か併行施術者かの区分については、右八六五通知により、昭和五七年七月一日時点の主治医の診断書の提出のあったものについては当該診断書の主旨に沿って分類し、その提出のないものについては、過去一年間の事実を総括して、理学療法とはり・きゅう施術が併用されているか否かによるものとするが、この場合、理学療法との併用が事実であったとしても、その実績が少ないか、単調な療法に終始しているもの、換言すれば、はり・きゅう施術が主体で、少ない再診時に漫然と同一の理学療法が付加されているものと認められる場合は、単独施術者と判定されるものとされていた。

第一審原告については、第一次判定会議当時、昭和五七年一二月一三日依頼にかかる九か月経過時の主治医の意見書が未提出であったことや通院回数が少なく、理学療法についても回数が少ないこと等を理由として、実質的には、はり・きゅう施術に依存した単独施術者であると区分され、八六五通知の別紙2の1(1)の〈4〉(今後なお三か月間の施術延長による治療効果が期待できるもの)に該当するものと判定された。

第一審原告は、右第一次判定会議の結果に基づいて、昭和五八年二月七日、第二次判定会議にかけられたが、同会議前に九か月経過時の主治医の意見書の提出もあり、本件判定資料に基づき審議を経た結果、A約一年間にわたり診療の事実が少なく治療の有意性に乏しい、B約一年間の診療内容がほぼ同様の治療方法のくり返しであり、治療効果があるものとは認められない、C約一年間の治療がはり・きゅうを主体とするものであり、後遺症状に対する対症的療法に終始しているものと認められるとの理由で、「症状固定と認められるが、主治医の意見があるので昭和五八年三月三一日までの治療を容認する。」と判定された。

これらの各判定会議の結果をふまえて、中野労基署長は、第一審原告に対し、昭和五八年三月三〇日付けの書面で「昭和五八年三月三一日をもって治ゆとし、その後の給付を行わないこととしましたので、通知いたします。」との治癒認定の通知(以下「本件治癒認定」という。)をし、その後、中野労基署長及び第一審被告労基署長は、第一審原告の本件給付請求に対して、本件不支給処分をするに至った。

2  本件不支給処分の適否

(一) 治癒の意義及び立証責任

前記認定事実のとおり、中野労基署長は、昭和五八年三月三〇日第一審原告に対し、本件治癒認定をし、その後中野労基署長及び第一審被告労基署長は、本件給付請求に対し、昭和五八年三月三一日治癒を理由として本件不支給処分をしたものである。

ところで、労災保険法上の治癒とは、症状が安定し、疾病が固定した状態にあるもので、治療の必要がなくなったものをいい、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状が持続していても医療効果を期待しえない状態となった場合をいうと解するのが相当である。したがって、発症前と同じ健康状態に戻ったことを意味する「完治」を指すものではない。

そこで、本件不支給処分の適否を検討するに先立ち、まず治癒の有無に関する立証責任の所在について検討する。

業務災害に関する療養、休業保険給付は、労働基準法七五条、七六条に規定する事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者の請求に基づいて行われる(労災保険法一二条の八)ところ、右請求は、被災労働者が使用される事業所を管轄する労基署長に対し、請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明することができる書面を添付してしなければならないとされている(同法施行規則一二条一項、二項、一二条の二第一ないし第三項、一三条一項、二項)のであるから、療養補償ないし休業補償給付を受給しようとする被災労働者は、右請求にかかる給付について自己に受給資格のあることを証明する責任があると解するのが相当である。したがって、右被災労働者が療養給付又は療養補償給付請求をするには、「業務上負傷し、又は疾病にかかったこと」、「療養が必要であること」(労働基準法七五条)、即ち、当該治療等が医学的見地からみて当該疾病の療養として必要なものであること(労災保険法一三条二項参照)を、休業補償給付請求をするには、「必要な療養のため、労働することができないこと」(労働基準法七六条)を証明しなければならない。また右被災労働者は、療養補償ないし休業補償給付決定を受けた場合でも、その後の請求に際しても右受給要件を証明しなければならないから、労基署長が当該請求に対して「治癒」を理由として不支給決定をする場合、処分権者の側で「請求者の傷病が治癒したこと」を証明しなければならないと解すべきではない。

これに対し第一審原告は、継続支給されている労災保険給付を「治癒」を理由として打切り、不支給処分を行った場合の取消訴訟においては、被災労働者に既存の権利を消滅させ不利益を与えるという処分の性質及び第二回以降の支給手続が異なるという点から、労基署長が治癒を理由とする不支給処分の正当性につき、主張・立証責任を負うと解するのが相当であると主張する。しかし、第二回以降の支給手続も被災労働者側に療養の必要性についての立証を不要としているものと解することはできない。即ち、療養補償給付たる療養の費用請求書及び休業補償給付支給請求書には、傷病の部位及び傷病名、傷病の経過の概要、療養の内容の各欄とともに、診療担当者たる医師の証明書欄が設けられている(労災保険法施行規則一二条の二、一三条、様式7号、特別様式1号、乙第一四号証、第一九号証)。この記載は「療養の事実」、「療養の必要性」に対する主治医の証明書であって、請求者の支給要件の立証方法を簡易化しているものにすぎず、請求者側に立証の責任を負わしめていることに変わりはないのである。

次に第一審原告は、一般論はともかく、本件においては主張・立証責任を転換する特段の事情があるとし、その理由として、第一審原告ないしその主治医に対して診断書などの提出を求める際、治癒認定が問題となっていることの告知がないこと、八六五通知に係る治癒の判定方法・基準が示されていなかったことを主張する。しかしながら、前掲乙第三三号証によれば、はり・きゅう受療者の主治医に対する意見書の提出を求める文書の依頼事項をみれば、労基署長が療養補償給付などの継続の可否を判断するため必要な意見書を求める趣旨であることは明らかであったというべきであるし、八六五通知は行政庁の内部処理の指針を定めたものにすぎず、これを見なければ医師が意見書を作成できないというものではないから、いずれにせよ治癒認定に関する主張・立証責任を転換する理由とはなり得ない。

更に、第一審原告は、医師の意見書により療養の効果と必要性が事実上推定され、これを覆すに足る反証のない限り療養の効果と必要性を肯定すべきであると主張する。一般的にみて、治癒の有無の認定に際し主治医の意見は十分考慮すべきであろう。しかしながら、治療の経過その他の資料を総合的に判断した場合、主治医の意見に採用しえない部分のあることもないわけではなく、治癒認定の有無は裁判所の事実認定に関わる問題である以上、主治医の意見に拘束されるものでないことも当然である。したがって、第一審原告の右主張は治癒認定に関する主張・立証責任の転換の根拠とはなり得ない。

よって、第一審原告の右主張はいずれも理由がない。

(二) 第一審原告の傷病に関する療養の必要性の有無

(1) 第一回不支給処分当時における療養の必要性

前記認定のとおり、中野労基署長は、昭和五五年九月一二日、第一審原告の労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付請求に対して、同人の頸肩腕障害を「業務上の疾病」と認め、同五四年五月一六日以降療養補償ないし休業補償給付を支給してきたものであるから、第一審原告は、本件給付請求をするにあたって、「自己の傷病につき療養が必要であること」ないし「必要な療養のため、労働することができないこと」を証明すれば足りると解される。

そこで、本件不支給処分の適否を判断するにあたって、まず第一回不支給処分当時、第一審原告の傷病につき療養の必要性があったか否かについて検討する。

前記認定のとおり、第一審原告は、三七五通達及び八六五通知により、昭和五七年一二月三一日ではり・きゅう施術期間が九か月を満了する者として判定会議の対象者とされ、第一次判定会議において三七五通達にいうはり・きゅうの単独施術者に該当すると区分されて、三か月間はり・きゅう治療の延長が認められたが、第二次判定会議において第一審原告に対する治療内容及びその効果が一年間を通じて変化がなく、同様の治療を継続しても医療効果がないとされ、「症状固定」の判定を受けた。中野労基署長は右各会議の結果をふまえて、第一審原告に対し本件治癒認定をし、中野労基署長及び第一審被告労基署長は、第一審原告の本件給付請求に対して、第一審原告の傷病が治癒したことを理由として本件不支給処分をしたものである。

そこで、まず第一次判定会議が判定したように第一審原告が三七五通達にいうはり・きゅうの単独施術者に該当するか否かについて検討する。

第一審被告らは、第一次判定会議までに、主治医から昭和五七年七月一日時点の診断書や九か月経過時の診断書の提出がなく、さらに第一審原告の通院回数や理学療法の回数が少ないことなどを理由として、第一審原告は実質的には、はり・きゅう施術に依存した単独施術者であると主張する。しかしながら、前記認定のとおり第一次判定会議には昭和五七年八月一〇日付け大師病院橋本医師のはり・きゅう診断書が提出されており(これは実質的には主治医の昭和五七年七月一日時点の診断書と認められる。)、同診断書によると、第一審原告は一般治療とはり・きゅう治療を受診している旨記載されている(乙第四二号証の五)のであるから、八六五通知の別紙3の5(5)〈1〉(はり・きゅう施術が単独施術か併行施術かは、原則として昭和五七年七月一日時点の主治医の主旨によって分類する。)の趣旨からすると、第一審原告は併行施術者として分類すべきであり、実際上も前記認定のとおり、第一審原告は、昭和五四年五月二九日以降同年八月までは月に六ないし八回、同年九月から昭和五七年一〇月までは月に一、二回、同年一一月から昭和五八年三月までは月に二ないし四回、大師病院で橋本医師の診察と治療を受けるかたわら、同医師の指示のもとではり・きゅうの施術を受け、特に難治性の頸肩腕症候群患者として三か月に一度の割合で各種検査を受けるなどして継続的に同医師の診療を受けてきたものであり、証人石田肇の証言によれば、右診療回数は決して少ないものとはいえないのであるから、第一審原告は三七五通達にいう併行施術者とみるのが相当である。

そこで、第一回不支給処分当時、第一審原告の傷病につき療養の必要性があったか否かについて検討する。

第一審被告らは、本件判定資料に基づき、第一審原告の治療内容が一年間を通じて変化がなく、治療効果についても画一的な記載がなされているだけで変化がなく、はり・きゅうの施術の効果も短時間しか持続していないので、これ以上同様な治療を継続しても医療効果を期待しえず、第一審原告の傷病は治癒したものと認められるから、本件不支給処分は正当である旨主張し、前記第二次判定会議においても、本件判定資料に基づき審議した結果右と同様の判定がなされており、証人石田肇、同井上幸雄の各証言中にも右主張に沿う部分もみられる。ところで、三七五通達と同時に発せられた事務連絡第三〇号によると、はり・きゅうの施術期間が初療の日から一二か月を経過した場合の取扱いについては、併行施術を行っている者もはり・きゅうの施術については療養の対象としないとされているが、この場合には医師に一般医療の継続の要否等について意見を求めて対処すべきであり、必要に応じて受診命令による診断又は専門医の診断を求めて行うとされている。前記認定の第一審原告の傷病の経過によれば、右傷病は難治性の頸肩腕障害とみられる場合に該当し、治療内容、発症からの症状の経過及び各種検査結果の動向等が重要であり、本件判定資料に止まらず、第一審原告が当然に提出可能な資料に基づく同人の症状の経過や各種検査結果の動向等を総合的に検討して判断すべきである。

そこで検討するに、別紙(2)のとおり第一審原告は、昭和五七年一月から同五八年三月までの間大師病院に二九回通院して、消炎・鎮痛・理学療法を継続的に受け、昭和五七年九月には運動療法を試み、同一一月からは機能訓練を始め、その間従前から続けられていたCMI検査等の各種検査を定期的に受検するかたわら主治医の指示のもとで月に八回ないし一二回程度はり・きゅう治療を受けてきたが、本件判定資料によると、第一審原告は、昭和五八年一月当時も、依然として、頸、肩、背、腰部にこり、倦怠感、疼痛があり、他覚所見としても頸、肩、背、腰部に筋緊張、硬結がみられ、頸肩腕障害の症状が持続していたものである。

第一審被告らは、前述のとおり第一審原告の右症状に対して治療を継続しても医療効果が期待できない旨主張する。

しかしながら、主治医である大師病院の橋本医師及び小室鍼灸院の小室彰夫は、第一審原告の右症状は運動療法にはり・きゅう治療を併用することにより改善が期待できるとの意見書を各提出していることに加えて、前記認定のとおり、第一審原告の症状の経過をみると、同人は頸肩腕障害による症状が重篤で日常生活も満足におくれない状態が長期間にわたって続いていたが、昭和五七年後半ころから症状が多少緩和し、洗髪・洗濯等の日常生活ができるようになってきたこと、また第一審原告に対する治療は、右症状の緩和に伴って従来から継続的に行われていた消炎・鎮痛を目的とする理学療法に加えて、昭和五七年後半からは運動療法も取り入れられるようになったこと、加えて別紙(4)のCMI検査指数の動向をみると、昭和五七年当時の右検査指数は発症当時の指数に比べて正常値に近づいており、同五七年の指数は第一審原告の右症状の緩和に対応して好転していること、背筋力検査をみると、昭和五七年後半から従前よりも数値が高まり背筋力が回復していること、また指尖脈波の検査結果をみると、昭和五七年当時の数値は発症当時の数値に比べるとかなり改善されていることがそれぞれ認められ、第一審原告の右治療内容及び症状の経過並びに検査結果の動向等を勘案すると、第一回不支給処分当時には、いまだ第一審原告の症状が安定し、疾病が固定した状態にあって治療の必要がなくなったとは到底いえず、第一審原告の傷病につき療養の必要性が認められるといわねばならない。証人井上幸雄の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 第二回ないし第九回不支給処分当時における療養の必要性

そこで、次に第二回ないし第九回不支給処分の各当時、第一審原告の傷病につき療養の必要性があったか否かについて検討する。

前記認定のとおり、第一審原告は、第一回不支給処分以降も大師病院の橋本医師の指導のもとに運動療法とはり・きゅう治療を続け、昭和五八年一二月から通勤訓練を開始し、同五九年四月から職場復帰訓練を取り入れて、次第に一日の勤務時間及び出勤回数を増していき、同六〇年四月から通常勤務に復帰して勤務時間を徐々に延長し、同六一年七月二三日からは就業規則どおりのフルタイムの勤務体制に服するようになり、平成元年四月からは完全就労するに至ったものである。かかる第一審原告の症状の経過によると、第一審原告は、昭和五八年末ころから症状が順調に回復し、昭和六一年七月二三日には就業規則どおりフルタイム体制で勤務することが可能になり、また日常生活においても、同年八月には槍が岳を縦走する等通常人並みの体力を回復するに至たり、自覚症状も良好に推移していたこと、加えて別紙(4)のCMI検査指数の動向をみると、昭和六一年以降正常値に達しており、背筋力検査をみても、昭和六一年後半からほぼ正常人と同様の背筋力を有するに至っており、さらに指尖脈波の検査結果をみても、昭和六一年後半から急激に正常値に近ずいていることを併せ鑑みると、昭和六一年七、八月ころには第一審原告の頸肩腕障害に基づく症状は安定して来たとみることができ、少なくとも同年八月末には、症状は固定したものと認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によれば、第一審原告は昭和六一年八月以降も自覚症状として時々疲労感やだるさがあり、他覚所見として背部に緊張が残存し、週二回訴外会社を早退してはり・きゅう治療を継続していたことが認められるが、右症状は右時点以降さしたる変化はみられず、橋本医師が治癒認定した平成元年一二月当時にも残存していたことからすると、少なくとも昭和六一年八月末には第一審原告の症状は固定し、療養を必要としない状態にあったものと認めるのが相当である。なお、橋本医師は、第一審原告の治癒認定の時点を平成元年一二月一二日と診断しているが、同医師のいう「治癒」は、症状の完全回復を指し、前記説示した労災保険法上の治癒の概念とはあい入れないものであることが同医師の証言により明らかであるから、同証言中右認定に反する部分は採用することができない。

したがって、第二回ないし第四回不支給処分の各当時(第四回不支給処分は、昭和六一年一月一日から同年八月三一日までの期間に係る本件給付請求に対する処分である。)には第一審原告の傷病につき療養の必要性が認められるが、第一審原告は、昭和六一年八月末には頸肩腕障害に基づく症状が固定し、正常人とほぼ同様な生活をおくれるまでに回復したものと認められるから、第五回ないし第九回不支給処分の各当時には第一審原告の傷病につき療養の必要性は認められない。

(三) 本件不支給処分の適否

以上のとおり、第一回ないし第四回不支給処分当時は、第一審原告の傷病につき療養の必要性があったものと認められるから、中野労基署長がした昭和五八年三月三一日治癒を理由とする第一回ないし第四回不支給処分は違法であるが、第一審原告の傷病は、昭和六一年八月末には症状が固定したものと認められるから、中野労基署長及び第一審被告労基署長がした第五回ないし第九回不支給処分は結論において正当である。

なお、第一審被告らは、労災保険法一三条二項かっこ書きによれば療養給付の範囲は政府が認めるものに限ると規定されているから、政府は療養給付の範囲について裁量権を有していると主張するところ、三七五通達によると、昭和五八年三月三一日をもってはり・きゅう治療の施術期間が満了することになるから、本件不支給処分のうち、はり・きゅう治療の療養補償給付を求める請求部分に関する不支給処分は右裁量権の範囲内において許容される旨の主張を含むとみられるので検討する。

労災保険法一三条二項かっこ書きの「政府が必要と認めるもの」の範囲については、「療養上相当と認められるもの」と解する(甲第二七号証)のが相当であるから、具体的には医学的にみて個々の傷病につき身体機能の回復、補填を図るために必要な療養か否かによって判断すべきであって、政府が自由にその範囲を定めうるものではないと解される。

三七五通達では、はり・きゅう治療に関する労災保険の支給対象として、単独施術(業務上等による疾病の症状が固定した場合における後遺症状に対する治療)と併行施術(一般医療とはり・きゅう治療を併せて行うことにより運動機能等の回復が期待しうる場合の治療)が認められており、はり・きゅう治療の施術期間は一二か月と定められているが、同期間が初療の日から一二か月を経過した場合の取扱いについて明確な記載がなく、また単独施術と併行施術の取扱いの差異についても具体的な記載はない。

しかし、労災保険法一三条二項の前記趣旨に鑑みると、はり・きゅうの施術期間が一二か月を経過した場合には以後療養の対象としないという右の取扱いは、行政庁の内部準則として保険給付の一般的、原則的な処理方針を定めたものにすぎないから、一二か月を経過してもなお治癒に至らない特段の事情のある場合には、医学上必要な療養として更に継続の必要があるか否かをそれぞれの症例に応じ個別的に審査することが必要となると解される。事務連絡第三〇号はこのような場合の対処方針の一端を定めたものと理解することができる。

ところで、一般医療とはり・きゅう治療の併行施術が行われている場合、前記のとおりはり・きゅう治療の右施術期間内に原疾患について治療効果が期待できないと医学的に認められたものについては、その後一二か月間は単独施術としてはり・きゅう治療に関する労災保険給付を継続して受けられる余地がある(事務連絡第三〇号2(1)〈2〉ロ参照)が、右認定がなされなければ、一般医療と併行して行われているはり・きゅう治療に関する労災保険給付が当然に打ち切られると解するのは、併行施術から単独施術に移行する場合に比べて均衡を失することになり、成立に争いのない乙第五一号証、証人田中守の証言によれば、はり・きゅう治療には一般医療の治療効果を高めるという効果が認められているのであるから、かかる場合には一般医療の継続の要否の中で、はり・きゅう治療の必要性も判断すべきであると解するのが、労災保険法及び三七五通達の趣旨に沿うものである。

したがって、第一審原告は、前述のとおり併行施術者であり、第一回ないし第四回不支給処分当時、第一審原告の傷病につき療養の必要性があると認められるところ、主治医である大師病院の橋本医師及び小室彰夫はり・きゅう師は、運動療法にはり・きゅう治療を併用することにより治療効果が期待できる旨の意見書を提出していることに加えて、前記認定の発症から第四回不支給処分当時に至るまでの第一審原告の症状の回復過程及び治療経過をみると、昭和五七年後半から取り入れられた規則的な運動療法とはり・きゅう治療が第一審原告の心因的要素(復帰意欲)とあいまって医療効果を発揮したものと認めざるをえないので、昭和五八年三月三一日をもってはり・きゅう治療が当然に打ち切られると解すべきではないから、いずれにせよ中野労基署長がした第一回ないし第四回不支給処分のうち、はり・きゅう治療の療養補償給付を求める請求部分に関する不支給処分も違法であるといわざるをえない。

四  結語

以上のとおり、第一審原告の第一審被告労基署長に対する本件不支給処分取消請求のうち、第一回ないし第四回不支給処分の取消請求は理由があり、第五回ないし第九回不支給処分の取消請求は理由がない。

第二損害賠償請求について

一  東京労働基準局労災管理課地方労災監察官矢島学及び第二次判定会議を構成した東京地方労災医員の各不法行為について

第一審原告は、別紙当事者の主張に記載したとおり、東京労働基準局労災管理課地方労災監察官(以下「労災監察官」という。)矢島学及び第二次判定会議を構成した東京地方労災医員には各職務上の過失があるから、第一審被告国は第一審原告主張の損害を賠償する責任がある旨主張する。

前記認定のとおり、第一審原告に対し昭和五八年三月三一日をもって治癒認定をしたのは中野労基署長であり、また本件不支給処分の処分権限を有するものは中野労基署長及び第一審被告労基署長である(労災保険法施行規則一条三項)ところ、八六五通知に基づく第一次及び第二次判定会議の各結果がたとえ本件治癒認定や本件不支給処分の重要な判断資料になったとしても、同労基署長らが右各会議の結果に当然に拘束されるとする旨の規定はなく、また八六五通知にもその旨の記載はないのであるから、同労基署長らは、自らの権限に基づき右治癒認定及び本件不支給処分をしたものといわざるを得ない。

したがって、第一審原告主張の労災監察官矢島学及び第二次判定会議を構成した東京地方労災医員の各過失の有無を検討するまでもなく、同人らの各行為が当然に中野労基署長の本件治癒認定及び第一回ないし第四回不支給処分を拘束しない以上、労災監察官矢島学及び第二次判定会議を構成した東京地方労災医員の各行為と第一審原告主張の損害との間に相当因果関係を認めることはできないし、また後記二の理由からみても相当因果関係を認めることができない。

二  東京労働基準局長、中野労基署長及び第一審被告労基署長の各不法行為について

第一審原告は、別紙当事者の主張に記載したとおり、東京労働基準局長、中野労基署長及び第一審被告労基署長には各職務上の過失があるから、第一審被告国は第一審原告主張の損害を賠償する責任がある旨主張するので検討する。

成立に争いのない乙第三八号証によれば、東京労働基準局長は各労基署長に対し、「はり・きゅう受療一二カ月経過者に対する措置について」と題する書面で治癒認定及び不支給処分等に関する指示をだしたこと、中野労基署長は昭和五八年三月三一日をもって本件治癒認定をしたこと、中野労基署長及び第一審被告労基署長が右治癒を理由として本件不支給処分をしたこと、中野労基署長の本件治癒認定及び第一回ないし第四回不支給処分がいずれも違法であったことは前述したとおりである。

ところで、成立に争いのない甲第三七号証(訴外銀行の災害補償規定)によれば、職員が業務上負傷し、または疾病にかかり、その療養のために就業できない場合には公傷休暇、公傷休職が認められ、右期間中一定の休業補償金が支給されることになっているが、就業できるか否かの決定は訴外銀行の指定する医療機関の診断に基づき人事部長が行う(同災害補償規定五条ないし七条)とされ、またこの規定により補償を受けるべき者が、同一の事由につき労災保険法等によって災害補償に相当する給付を受けることができる場合には、その受ける給付額の限度で同規定による補償が免責される(同規定一五条)と規定されている。しかし、同規定一五条は、同一の事由により労災保険法等による災害補償に相当する給付と訴外銀行の同補償規定による給付が重複して給付されることは合理的でないから、これを調整するための規定にすぎないことは明らかであり、同規定に基づく休業補償給付が労災保険法による休業補償給付又は療養補償給付の支給決定を前提として行われることを窺わせる規定は存在しない。かえって前記規定の趣旨に鑑みると、同規定の適用の可否は指定医療機関の診断等の同規定が定める手続のもとで、訴外銀行が独自に判断することができるものと解される。また弁論の全趣旨によれば、訴外銀行は、賞与の支給について労使交渉により基本給を算定の基礎とする支給額決定方法を採用し、基本給に各労働者に対する査定率を乗じてその額を決定することとしているので、賞与の支給は各労働者の査定評価が前提となるから、訴外銀行は会社に対する貢献度その他一切の諸事情を考慮して、独自の客観的評価で各労働者の査定率を定めることができるものと解される。したがって、東京労働基準局長、中野労基署長及び第一審被告労基署長の各過失の有無を検討するまでもなく、中野労基署長らがした本件治癒認定及び本件不支給処分と訴外銀行の休業補償の打切り及び賞与の減額査定による第一審原告主張の損害との間に相当因果関係を認めることはできないし、右事実を認めるに足りる証拠はない(なお、仮に第一審原告が主張するように、中野労基署長がした本件治癒認定及び第一回ないし第四回不支給処分と訴外銀行の休業補償の打切り及び賞与の減額査定が当然に連動し、前者の不支給処分等がなければ、後者の休業補償の打切り等もないとするならば、第一回ないし第四回不支給処分が取り消されることにより、第一審原告主張の損害が回復されることになるので、右損害は生じないことになる。)。そして、第一審原告主張の不法行為が認められない以上、弁護士費用の賠償請求も理由がない。

三  結語

以上のとおり、第一審原告の第一審被告国に対する本件損害賠償請求は理由がない。

第三結論

よって、第一審被告労基署長の本件控訴に基づき、原判決主文第一項を主文のとおり変更し、第一審原告の本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、九五条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 時岡泰 大谷正治 滝澤雄次)

(別紙)

当事者の主張

第一第一審原告

一 治癒の主張立証責任と本件不支給処分の違法性

1 「治癒」に関する主張立証責任の分配について

(一) 主位的主張

原判決は、「原告は、右疾病が存続していて療養の必要があることを主張、立証すれば足り、それが治癒(固定)していないことまでを主張、立証する必要はなく、むしろ、不支給処分を正当と主張する被告新宿労働基準監督署長において右疾病が治癒(固定)したことを主張、立証すべきものと解する。」と判示したが、右判断は正当である。即ち、継続支給されている労災保険給付を「治癒」を理由として打切り、不支給処分を行つた場合の取消訴訟においては、被災労働者に既存の権利を消滅させ不利益を与えるという処分の性質及び支給手続が異なるという点から、労働基準監督署長(以下「労基署長」という。)が治癒を理由とする不支給処分の正当性につき、主張・立証責任を負うと解するのが相当である。けだし、治癒を理由とする不支給処分により被災労働者はそれまで継続して受給していた補償が打切られるという不利益を受ける。また、第一回の請求では申請書に請求を裏付けるに足る事項を記載し、これを証明する資料を添付して申請し、労基署長が業務上療養の必要性を肯定すると、第二回以降の請求においては、医療機関の第一次判断が尊重され、主治医が治療を継続しており、治療を行ったという書面(主治医が治療を継続していることはその必要性を認めていることである。)を提出すれば、他になんらの資料も要することなく補償が支給されるからである。

(二) 予備的主張(1)――特段の事情による主張立証責任の転換

仮に、主張立証責任の分配に関する一般論として、治癒(症状固定)していないことについて被災労働者が主張立証責任を負うとしても、本件においては、かかる主張立証責任の原則を転換して、労基署長が治癒(症状固定)を主張立証すべき特段の事情がある。その理由は次のとおりである。

(1) 争点を告知しなかったこと

そもそも主張立証責任の分配とは、争点を当事者双方が認識していることが前提であり、その上で、その争点を巡る主張と立証の責任をどちらに負わせるのが正義と公平にかなうかという観点から決定すべきである。

本件においては、東京労働基準局も中野労基署も、第一審原告にも主治医にも、疾病の治癒(固定)が争点となることを一切告知していないという特段の事情がある。右告知を一切しないまま、争点を知らない被災労働者と主治医に診断書と意見書を提出させておいて、これを根拠に療養継続の必要性の証明がないと判定するのは闇打ちに等しいものであり、不正義かつ不合理である。

したがって、本件においては、争点を知らなかった第一審原告に主張立証責任を負わせるのは、正義と公平に反するものであり、治癒の主張立証責任は第一審被告労基署長が負うのが当然である。

(2) 判定基準の非公開

本件において、九か月経過者の措置に関する判定基準と判定方法が明らかになったのは、控訴審になってからである。

したがって、本件においては、八六五通知(昭和五七年一二月二二日東基発第八六五号)に基づく判定方法と判定基準が一切告知されておらず、主張立証の焦点も知り得なかったのであるから、第一審原告に主張立証責任を負わせるのは正義と公平に反するものである。

よって、この点においても治癒の主張立証責任は第一審被告労基署長が負うのが当然である。

(三) 予備的主張(2)――事実上の推定と反証

仮に、療養の効果の立証責任が被災労働者にあるとしても、主治医の意見により療養の効果と必要性が事実上の推定され、これを覆すに足る反証がない限り、療養の効果と必要性を認めると解するのが相当である。

労災保険法に基づく療養補償給付について、その支給要件が満たされて一旦支給決定がなされ、給付が一定期間継続した後、医療の効果がないことを理由として労基署長が不支給処分を行なおうとする場合には、主治医が療養を継続する必要があるとの判断を示している限り、当該医療の効果とこれを継続するべき必要性が推定されるのであるから、労基署長が右推定を覆すに足りる反証をなしえた場合にのみ許されると解するのが相当である。即ち、主治医が療養の継続が必要との判断を示した場合には、労災保険法に基づく療養補償給付の支給要件たる療養の必要性が事実上推定されるのであり、労基署長において、この事実上の推定を覆す反証に成功した場合において、初めて療養の必要性が否定され、不支給処分を行うことができるのである。

2 第一審原告の頸肩腕障害が本件不支給処分時に治癒していなかった事実

(一) 第一審原告の健康状態と療養の経過

第一審原告は業務上の頸肩腕障害で昭和五四年五月一二日から休業するに至ったが、休業に入った昭和五四年五月から昭和五六年前半までの健康状態と治療の内容の概略は次のとおりである。

第一審原告は、大師病院に通い、月に一、二回、主治医である橋本卓医師の診察を受けた。その際、医師は、問診、触診に加えて第一審原告が症状調査表(一か月、三か月、六か月毎に提出する。)に記入した状態を参考にして病状を診断し、その後一か月間のはり・きゅう治療、運動療法、機能訓練、生活態度について指示、指導し、更に通常の診療録(カルテ)の他に頸腕症候群特殊カルテを作成し、第一審原告の記入した前記調査表や第一審原告の訴えに基づき病状につき詳細な記載をした。

休業に入った直後から昭和五六年前半までの時期は最も重い状態であった。

筋肉の高度の緊張・硬結状態で、発熱を伴う激しい痛みで苦しんだ。特に頸部の運動制限は著しく、首に棒が入っているようで横を向くことさえ不可能であった。夜は背中の痛みで仰臥できず、寝返りもできず、頭痛、不眠、耳鳴り、手足のしびれに苦しんだ。生活面では、食事は当初流動食しか受けつけず、外気に体が敏感に反応し、夏でも一日中窓を閉めきりで過ごした。包丁、洗濯バサミなど手力を入れて手を握る用具は使用できず、洗髪などもできず、最低の日常生活も不可能な状態であった。

当時の第一審原告の病状は、日本産業衛生学会の頸肩腕障害の病像分類のうち最も重いV度であり、重度の難治性の頸腕患者であった。

(二) 第一審原告の昭和五八年一二月二日(第一回不支給処分時)当時の健康状態

(1) 第一審原告は、昭和五六年後半からようやく回復のきざしが見え始めた。即ち、第一審原告は何年も夏でも汗をかかなかったが、昭和五六年の夏は何年ぶりかで汗をかいた。同年の一一月ころには季節への対応ができるようになったと自分でも感じられ、首のつっぱりがとれてきた。洗髪が可能になったのは昭和五七年九月であり、同年一一月頃には、背腰部の痛みは残るものの、筋肉の緊張、硬結の程度も軽くなり、首の痛みがとれて頸部の運動制限も緩和され、ストレッチの運動療法が可能となった。このころから、第一審原告は、主治医の診察とその指示に基づき、はり・きゅう治療の他に運動療法として頸腕、腰痛体操を行なうに至り、特に同年一一月ころ、大師病院で行なわれた「体操教室」に参加し、運動療法の講義を受けるとともに、散歩、ジョギング、ストレッチ体操を行なうようになった。散歩、体操が日課となり、効果も感じられるようになり、はり・きゅうによって局部への直接的刺激を与えて痛みを緩和し、ストレッチ体操で体全体を柔軟にし、筋肉を弾力的にしていくという治療方法で第一審原告自身も明らかに認識できるほどの治療効果を得ることができた。

その結果、従前のような急性症状は次第になくなり、食事の用意、洗髪、洗濯などの最低の日常生活もできるようになった。

原判決添付の検査指数動向表によれば、背筋力をみても昭和五七年前半までは三、四〇キログラムの低い数値であったものが、同年の後半から五、六〇キログラムの数値がでるようになった。しかし、その後の推移から見てまだまだ低い状態であった。脈波検査の数値も異常に低かった状態が動き始めたのは昭和五六年になってからであった。

(2) 右のように回復に向けて動きはじめていたが、依然症状は重度で病像分類は昭和五七年一一月にようやく二番目に重いIV度まで回復したに過ぎない。

昭和五七年一一月でも、ボールペンは使用できず鉛筆を使用せざるを得なかった。生活面でも掃除機や縫い針の使用は未だ無理であった。カルテによって明らかなとおり、肩・頸・背の痛みが依然として継続しており、未だ頸肩腕障害の重い症状に苦しんでいた。当時のカルテ上の他覚的所見も筋硬結の状況は相当残っており、検査結果も背筋力や握力も未だ相当低い状態であった。

従って、到底自然的経過によって到達する最後の状態、つまり症状固定などといえる状態ではなく、はり・きゅうの治療及び運動療法が必要であった。発病当時の急性症状がようやくなくなり、はり・きゅうの治療に加えてストレッチ体操を中心とする体操療法によりようやく回復に向かいはじめていた時期である。

(3) 第一回不支給処分が出された昭和五八年一二月二日当時の症状は以上のとおりであり、治癒していないことはもちろんであるが、昭和五七、五八年の症状を追ってみれば回復に向けて動き出し、確実に回復に向かっていたことは明白であり、医療効果が最も顕著に現れていた時期であり、「症状が固定し、もはや医療効果を期待することができない場合」に該当しないことは明白である。

(三) 第一審原告の昭和六〇年八月二一日(第二回不支給処分時)当時の健康状態

(1) 昭和五八年一二月には自覚症状、他覚所見が一定改善され、体力的にもかなりの改善が見られたため、「通勤訓練」を開始した。通勤訓練は、当初週二日、一日一時間(当初は一〇ないし一五分)、ロビーにおいて店内の雰囲気・騒音に慣れる訓練を行なった。その後、昭和五九年三月には週三回とした。当時は、このように短時間の通勤訓練しかできない状態だった。

(2) 昭和五九年四月には「職場復帰訓練」を開始するまでに回復した。

「職場復帰訓練」は、職場でリハビリのため就労し、体を勤務に適応させていく訓練である。

当初は週三日、一日二時間ずつ訓練することから始めたが、当初は連続一時間の作業訓練がやっとで、作業中でも体がきつくなったら仕事から一時離れて休憩し、ストレッチ体操などをして筋肉をほぐし、再び訓練に入るという状態であった。

昭和五九年八月からは週三日、四時間、同年一〇月からは週三日、五時間、同年一二月からは週四日、四時間の「職場復帰訓練」が可能になった。

(3) 昭和六〇年四月から訴外銀行の要請により、「通常勤務扱い」となったが、未だ体の痛みも残り、リハビリ勤務もはり・きゅう治療や運動療法をすることによりようやく職場復帰訓練を継続することができる状態であったため、訴外銀行が要観察で配慮を行う条件であった。

(4) この時期は、長期間の休業の末に職場に戻るという重要な段階であり、主治医の診察を月に数回集中して継続的に受けた。主治医は第一審原告の職場復帰による体の反応を把握し、それに基づいてはり・きゅうの治療及びストレッチ、水泳等の運動療法などを指示、指導をした。こうして「通勤訓練」も「職場復帰訓練」も主治医の下に、職場での状況を報告し休憩や体操など適切な指導を受けながら症状の回復に応じてその時間帯及び日数を徐々に増やしていったものであり、文字通り治療として行ったものである。

(5) 第二回不支給処分の昭和六〇年八月当時は以上の経過を経て、勤務が週四日、一〇時~五時勤務に入った時期である。即ち、週二日(火、木)は水泳等の運動療法とはり・きゅう治療を受けていた。未だ部屋でも毛の帽子を着用するという状態であり、前記学会の病像分類はIII度であった。なお、昭和五九年三月末の訴外銀行の診察所の健康診断の結果は、健康管理区分B1の(3)で三か月毎に健康状態をチェックする健康管理が必要であった。また、昭和六〇年五月ころからは、仕事中にどうしても体がきつい状態に陥るため、訴外銀行に申請をして、社内マッサージを受けるようになった。

(四) 第一審原告の昭和六一年一月二二日(第三回不支給処分時)当時の健康状況

(1) 第三回不支給処分の昭和六一年一月当時は、勤務体制は九時五〇分~五時であった。前年の一一月当時は週二日(火・金)治療のために早退していたものが、一二月には寒くなり肩こり、背中の痛みが出現したため、火・金曜日に加えて木曜日も一時間早退するようになり、未だ就労という負荷に対して反応が現れており、症状は安定していなかった。

(2) 昭和六一年二月四日の脈波は〇・一八とまだ高く、三月四日の握力は右二五、左二四キログラムと低く、当時の前記学会の病像分類でIII度の段階に回復したに過ぎなかった。

(五) 第一審原告の昭和六一年一一月四日(第四回不支給処分時)当時の健康状態

第四回不支給処分の昭和六一年一一月当時は、勤務時間も次第に延長していき同年七月には初めて一週間連続出勤体制、同年一〇月二三日からフルタイム体制で就労するに至った。しかし、ようやくフルタイム体制にはいったばかりの時期であり、この当時も週二日はり・きゅう治療のために早退しなければならなかつたし、週二回三〇分の社内マッサージが必要であった。さらに体調記録には同年一一月一三日には「背中が痛くて吐き気がする」、翌一四日も「吐き気、足がフラフラする、体に力が入らない、思い切ってマッサージへ」という症状悪化の記述がある。

同年一二月二日の検査でも握力右二六・五、左二六キログラムである。この時の脈波は〇・一四と相当回復しているがまだ正常値ではなく、しかもその後の検査ではこの数値が再び高くなっていることからも極めて不安定な状況である。この時期の前記学会の病像分類は未だII度での段階であった。

昭和六一年一一月一二日、訴外銀行における健康診断の結果、第一審原告は、健康管理区分B1の(6)と変更されている。即ち、昭和五九年当時三か月毎であった健康管理のためのチェックを六か月毎に行なうことと変更されたものである。銀行の健康診断においても昭和五九年一一月当時から確実に健康を回復していることを示すとともに、未だ治癒していないことを証明しているものである。

(六) 第一審原告の昭和六二年六月二七日(第五回不支給処分時)当時の健康状態

第五回不支給処分の昭和六二年六月当時も、前記学会の病像分類はII度の段階であった。当時の勤務体制はやはり週二日のはり・きゅう治療のための早退が続いていた。週二回の社内マッサージもこの時期にも必要で、この直後の七月から二〇分に時間短縮できたに過ぎない。

特殊診療カルテを見ても、不支給処分直後の七月、一〇月、一一月当時は特に筋緊張が増加しているのがわかり、勤務による増悪が見られる。

(七) 第一審原告の昭和六三年二月一日(第六回不支給処分時)当時の健康状態

第六回不支給処分の昭和六三年二月当時も、前記学会の病像分類はII度である。依然週二日はり・きゅう治療のために早退をしている。社内マッサージも回数を週一回程度に減らすことができたが、未だ必要であった。

当時の特殊診療カルテによっても筋緊張が継続しており、脈波も一時一定程度回復した時期があったが、直前の昭和六二年一二月一日の検査では〇・二と高い数値に戻っている。頸肩腕障害、腰痛の症状及び治療、勤務状態調査表によってもこの直後の三月、四月には肩、頸、背に症状があらわれている。

(八) 第一審原告の昭和六三年八月二六日(第七回不支給処分時)当時の健康状態

第七回不支給処分の昭和六三年八月当時も、訴外銀行の業務の忙しさのため二~三時間の残業もするようになり、相当程度回復してきた。前記学会の病像分類はII度である。当時も毎週二回(月、木)早退して、はり・きゅう治療を受けていた。直前の六月一四日の脈波も依然〇・二であり、直前の六月一四日、直後の一〇月四日のカルテ、特殊診療カルテを見ても再び筋緊張、圧痛が出現しているという状況である。

頸肩腕障害等の調査表によっても、八月から一〇月ころは、肩、頸、背の症状に悩んでいる。

(九) 第一審原告の平成元年九月二五日(第八、九回不支給処分時)当時の健康状態

第八、九回不支給処分の平成元年九月当時も、前記学会の病像分類はII度である。同年四月からようやく早退なしの本来の完全就労に入った時期であり、相当程度の回復が認められる。しかし、不支給処分直前の四月、六月、八月のカルテにも筋緊張が見られ、九月五日の脈波の検査でも〇・二という数値であり、一一月七日には左〇・一六、〇・一八と改善しているが未だ正常値ではない。

(一〇) まとめ

以上、第一回の不支給処分が出された以後も、第一審原告は、主治医の指示の下に、はり・きゅう、ストレッチ、水泳などの運動療法を継続した。特に昭和五九年夏以降、山歩き、サイクリング、スキー等も運動療法として積極的に行なった。当時の第一審原告の症状からすると、やはり勤務が重い負担となり、はり・きゅうや運動療法で体力を回復し、体調を整えることによってはじめて勤務を継続することができたのである。その間、筋緊張、筋硬結や検査数値が回復しても第一審原告のように頸、肩、腕の重度の慢性疾患の頸肩腕障害の患者の場合、勤務などによる一定の負担を受けた場合再び増悪することがある。したがって勤務等の負荷を受けても増悪しないことを数か月単位で確かめた後でなければ治療認定ができないのである。

第一審原告は、いずれの不支給処分時においても、症状が固定し、もはや医療効果が期待できない場合に該当しないことは明らかである。

3 本件における治癒(症状固定)判断の誤りと本件不支給処分の違法性

(一) 治癒(症状固定)に関する証明もしくは反証の不存在

(1) 昭和五七年八月二四日付労働省労災補償課長発事務連絡では、長期療養者に対し具体的な調査項目を指摘して意見書提出を求めることとされ、また、東京労働基準局長の八六五通知で判断基準として主訴と他覚所見の関係及び運動機能障害の具体的内容をあげていたが、本件治癒(症状固定)判断をなすにあたって、収集された資料は、橋本医師の診断書、はり・きゅう師の意見書、費用請求書、レセプト等にすぎない。

本件治癒認定をなすに当たり、東京労働基準局は、第一審原告の症状の経緯・療養の経緯・CMIテストや指尖脈波等の検査所見について一切今日に至るまで調査を行っていない。

(2) 東京労働基準局の第一次判定会議では、第一審原告を分類基準の〈4〉と判定したのであるが、分類〈4〉とは一般医療を受療せずはり・きゅう単独施術を受療していたという意味であり、一般医療を受療していた第一審原告をかかるものとみなした合理的根拠は一切説明されていない。

しかも、八六五通知によれば、三七五通達(昭和五七年五月三一日基発第三七五号)施行日(昭和五七年七月一日)現在の振分診断書が提出されているものについては、一般医療との併用かはり・きゅう単独施術かについて、原則として主治医の判断にしたがうものとされている。第一審原告の七月一日現在の振分診断書は一〇月二二日に提出されているのみならず、この診断書の提出時期は東京労働基準局がレセプト管理をしている患者の主治医に提出依頼がなされるより早い時期であったにも拘わらず、第一次判定会議の矢島学らはその後の意見書が提出されていないということで第一審原告を〈4〉に分類したものであり、これは八六五通知からも逸脱するものである。

(3) 第二次判定会議は、頸肩腕症候群の専門家以外の医師によって構成されており、前記の限られた資料のみによって検討し、二〇〇人近い患者について事前準備期間が数日しかないまま、会議当日は一人当たり平均一分三〇秒以下の検討時間しかないままで行われたものである。

よって、第二次判定会議は、「医学的検討」の名に値いしないものであることが明白であり、この検討結果も、主治医の判断を覆すに足りるものとは到底言えない。

(二) 結論

結局、本件不支給処分の時点で、主治医の療養継続が必要との判断を覆す証拠も反証も一切存在しなかったのであり、それにも拘わらず、第一審原告について症状固定(治癒)と判断して、この判断に基づき本件不支給処分を行ったことは事実の誤認であり、違法であって、取消しを免れ得ない。

二 本件治癒認定と本件不支給処分に関する過失責任

1 本件治癒認定と本件不支給処分に関与した公務員の基本的注意義務

(一) 労災補償給付を打ち切られること自体による不利益性

労災保険制度は、健康保険制度と異なり、業務災害によって損失した労働者の稼得能力の回復、てん補を目的としているため、労災医療は、被災労働者の傷病をできる限り早く治癒へ導き、かつ、後遺症の軽減を計り、原職場かできる限り有利な職場に復帰させることを最終の目標として給付が行われている。

そのために、療養補償給付と休業補償給付があるが、これらの給付の不支給処分がなされると、はり・きゅう治療については自費で負担せざるを得ず、一般医療については「頸肩腕障害」の病名では健康保険の適用を受けることができないので別の病名で治療を受けるため療養内容が制約される。そして、所得補償は全くなく、生活自体が困難となる。

(二) 打切による解雇の危険

労基法一九条は、業務上の疾病の療養の期間とその後の三〇日間につき、使用者の解雇を禁止している。

そのため、被災労働者は、治癒(症状固定)の認定を受けると、すなわち、療養の必要がないと判断されると、労基法一九条の解雇制限を受けることができなくなり、解雇の危険にさらされ、就業規則もしくは労働協約による私病欠勤の期間が満了すれば、解雇されることとなる。

被災労働者にとっては、業務に起因する疾病の療養途中であり職場復帰できる程度に健康が回復していないにもかかわらず、治癒(症状固定)の認定を受けることは、労災保険給付による保護を失うだけでなく、労基法一九条の保護を失うこととなり、労働協約や就業規則に特段の定めがあるか使用者の恩恵的取り計らいがない限り、使用者によって何時でも解雇される状態となることを意味し、将来に向けての生活基盤の一切を脅かす計り知れない不利益を生むのである。

(三) 労災補償事務をなす者の基本的注意義務

所轄労基署長が治癒(症状固定)認定をすると、右(一)、(二)記載のとおり、生活の基礎を根底から脅かすことになるがゆえに、労働省の実務においても、相当医師の臨床所見を重視し、担当医師の所見のみでは認定が困難である場合は専門医の鑑定を仰ぐ等して医師の所見を重視するのが通例となっている。したがって、所轄労基署長の行う治癒(症状固定)認定と労災保険給付の不支給処分について、行政組織法上の指揮監督権の一環としての判定に関与する公務員及び認定を自らの名において行う所轄労基署長は、療養補償給付を受給している被災労働者の担当医師の臨床所見を参酌し、これを重視して検討を行い、主治医が未だに治癒(症状固定)していないと診断している場合には、この診断が誤診であり他に治癒(症状固定)となっていることが確定的に証明できる場合でなければ治癒(症状固定)の判定もしくは認定を行ってはならない基本的注意義務を負っているのである。

2 東京労働基準局労災管理課地方労災監察官矢島学の具体的過失

(一) 本件治癒(症状固定)認定と不支給処分への関与

(1) 矢島は、八六五通知を起案し、東京労働基準局長の決済を受けて、東京労働基準局長をして右通達に基づく労災保険事務をなすよう監督署長に指揮監督権を行使させた。

(2) 矢島は、八六五通知に基づく第一次判定会議の司会を勤め、もって、同会議の主宰者たる地位にあった者であるところ、同会議は、第一審原告について八六五通知に基づく分類の〈4〉に該当するとの判定を行った。

(3) 矢島は、八六五通知に基づく第二次判定会議の司会を勤めたものであるところ、同会議は、第一次判定会議の判定結果を承認した。

(4) 東京労働基準局長は、第一審被告労基署長に対し、右判定の結果に基づき第一審原告に対する措置をなすよう指揮監督した。そのため、同第一審被告労基署長は第一審原告が分類基準の〈4〉に該当するものとして治癒(症状固定)認定通知を発し、その後本件不支給処分をなした。

(5) 矢島は、東京労働基準局長の履行補助者であり、また、同局長の被用者である。東京労働基準局長は自ら第一審原告に関する判定を行い、その結果に基づき所轄労基署長に対し治癒(症状固定)認定及び労災保険給付に関する処分についての指揮監督をなす権限を有するところ、右判定に関する基準の策定の業務を矢島に分掌させ、また、個別事案毎の判定をも矢島を主宰者とする第一次判定会議及び第二次判定会議に分掌させ、その判定結果に基づき各労基署長を指揮したのである。したがって、矢島は、東京労働基準局長から分掌された右業務に関して「公権力の行使に当たる公務員」(国家賠償法第一条一項)である。

(二) 矢島の具体的注意義務の内容と違反

(1) 判定基準策定に関して

〈1〉 矢島の注意義務

矢島は、八六五通知を策定し、東京労働基準局長をして各労働基準局長に指揮命令をなさしめるに当たって、前掲1(三)記載の基本的注意義務を負っていた。

矢島は、右基本的注意義務に基づき、治癒(症状固定)に関する判定基準を策定するに当たっては、被災労働者の担当医師の臨床所見を斟酌し、これを重視して検討を行い、主治医が未だに治癒(症状固定)していないと診断している場合は、この診断が誤診であり治癒(症状固定)が確実に証明できる場合にかぎり治癒(症状固定)と判定する判定基準を策定する義務を負っていたものである。

〈2〉 矢島の注意義務違反

矢島は、八六五通知を起案し策定するに当たって、労災保険法四七条もしくは同法四七条の二の命令すら発せられていないにもかかわらず、労基署長が提出依頼をしたにすぎない診断書等が提出されていない者について、実際に一般医療とはり・きゅうの併用施術を受療している者であっても、はり・きゅう単独施術を受療しているものとみなす判定基準を策定し、もって、単独施術とみなされた者については三七五通達に伴う事務連絡所定の期間が経過した時点で療養補償給付を打ち切る基準を策定したものである。

第一審原告は、一般医療とはり・きゅうを併用していたにも拘わらず、八六五通知の判定分類〈4〉すなわち、はり・きゅう単独施術とみなされて、第一次判定会議及び第二次判定会議で治癒(症状固定)と判定され、その結果に基づき第一審被告労基署長から本件治癒(症状固定)認定を受け、本件不支給処分を受けた。

労災保険法は四七条の三所定の手続上の処分以上の実体的不利益処分をなすことを許していない。また、単独施術とみなすことに何らの合理性も認められないから、矢島は、判定基準作成に関する裁量権を逸脱したにとどまらず、労災保険法に違反し、もって、前掲1(三)記載の基本的注意義務に違反した。

(2) 八六五通知の解釈運用に関して

〈1〉 矢島の注意義務

矢島は、第一次判定会議において判定をなすに当たり、前掲1(三)記載の基本的注意義務を負っていたのであるから、被災労働者について、主治医からの一般医療とはり・きゅうの併用施術の受療者であるとの判断が示されたときには、この判断は医学的診断以前の事実判断であるから、一般医療を受療していないにも拘わらずこれを受療しているとの事実誤認もしくは虚偽判断でないかぎり、この判断に従い、一般医療とはり・きゅうの併用施術を受けている者として取り扱う注意義務を負っていた。

〈2〉 矢島の注意義務違反

一般医療とはり・きゅう併用施術を受療する者かはり・きゅう単独施術を受療する者かの区別について、八六五通知の判定基準では、昭和五七年七月一日時点の主治医の診断書の提出のあったものは原則として当該診断書の主旨に沿って分類するものとしていた。

第一審原告の主治医は、右診断書を一〇月二二日中野労基署に提出して、中野労基署はこれを受理していた。しかるに、第一次判定会議において、矢島らはその後の意見書が提出されていないとの理由で、八六五通知に基づく分類の〈4〉に該当すると判定した。

提出されていない意見書とは、昭和五七年一二月一三日に提出依頼がなされ、提出期限が一二月二七日とされていたものであり、提出期限が一四日間しかなかった。それでも、主治医は、この依頼にかかる意見書を年末年始の休暇後の昭和五八年一月二六日までに作成し、同日中野労基署が受付けている。

八六五通知で判定基準にあげていたのは、七月一日時点での主治医の診断書であり、これは早く提出済であるのに、八六五通知の判定基準に上げられておらないばかりか、提出依頼から間もない意見書の提出が若干期限より遅れたことを理由に、はり・きゅう単独施術の受療者であるとみなす取扱いをしたことは、八六五通知の規定にすら根拠がなく、何らの合理性もない。

よって、矢島は、前記注意義務に違反したものである。

(3) 資料収集と検討に関して

〈1〉 矢島の注意義務

矢島は、前掲1(三)記載の基本的注意義務を負っていたものであるから、治癒(症状固定)に関する判定をなすに先立って、判断に必要な全資料を収集し、これらの資料を総合的に慎重に検討し、治癒(症状固定)であることが全資料に基づき確定的に判断できる場合に限り治癒(症状固定)と判定すべき注意義務を負っていた。

とりわけ、本件においては、昭和五七年八月二四日付の労働省労働基準局労災補償課長発事務連絡により、三七五通達に基づく経過措置対象者については「傷病名及び傷病部位等からみて、疼痛、シビレ及び麻痺等の症状がどの筋あるいはどの神経が原因で生じているのか、また、これらの症状の経過等について、医師の意見を求める。」とされていたのであるから、矢島は当然これを知っており、また、八六五通知を起案する際に、判定基準の項において、自訴と障害部位の相関や運動機能障害の把握について詳細に記載しているのであるから、これらの資料を収集して判定すべきことを認識していた。

さらに、第一審原告の個人別判定表にはCMIテストを実施したことも明記されていたのであるから、かかる検査がなされたことも知り得た。

よって、矢島は、少なくとも、前記事務連絡と八六五通知に記載された事項に関する資料のみならず、レセプト等により個別に知り得る検査結果等の資料を収集し、これに検討を加えて治癒(症状固定)しているか否かの判定をなすべき注意義務を負っていた。

〈2〉 矢島の注意義務違反

しかるに、矢島は、右資料を一切収集することなく、個別具体的事案毎の症状経緯・治療効果・労働能力の推移について具体的に検討することなく、第一審原告を治癒(症状固定)と判定し、もって右注意義務に違反した。

3 第二次判定会議を構成した東京地方労災医員の具体的過失

八六五通知に基づき設立された第二次判定会議の構成員らの医師は、第一次判定会議における判定が医学的合理性を有するか否かを判断することを任務としていたものであるところ、右判断をなすに当たつては前掲1(三)記載の注意義務を負っていたのであるから、第一審原告の治癒(症状固定)判定に関して、以下の具体的注意義務の履行を怠った過失がある。

(一) 判定基準と解釈運用が適正であるか否かを検討すべき義務とこれを怠った過失

(1) 右地方労災医員五名は、八六五通知記載の判定基準が医学的に妥当であるか否かを検討し、とりわけ、前掲2(二)(1)ないし(2)記載の矢島の注意義務違反にかかる事項を是正し、もって、東京労働基準局長の事務を分掌している矢島の主宰にかかる判定会議が誤って治癒(症状固定)の判定をなし、東京労働基準局長がこの判定結果に基づき所轄労基署長に指揮監督権を行使し、所轄監督署長が誤って治癒(症状固定)認定と労災保険給付の不支給処分をなすことによる被害の発生を防止すべき注意義務を負っていた。

(2) しかるに、右五名が右義務の履行を怠った結果、第一審被告労基署長が第一審原告を治癒(症状固定)と認定し、本件不支給処分を行ったのであるから、右五名には過失があるというべきである。

(二) 判定資料の適否を検討すべき注意義務とこれを怠った過失

(1) 前記地方労災医員五名は、治癒(症状固定)の判定をなすためには、前掲2(二)(3)に記載の資料その他個別対象者ごとに、症状経緯、検査結果、労働能力の推移等の具体的資料を収集し、これらの資料を総合して医学的判定をなすべき注意義務を負っていた。

(2) 地方労災医員五名は右義務を怠り、第一審原告を治癒(症状固定)と判定し、その結果第一審被告労基署長が本件治癒(症状固定)認定と本件不支給処分をなしたのであるから、右五名には過失があるというべきである。

4 東京労働基準局長の具体的過失

前掲1(三)記載の基本的注意義務を負っていた東京労働基準局長は、自らの名において、八六五通知を発し、また、判定結果に基づく措置を第一審被告労基署長に指揮監督する権限を行使するに当たり、その権限行使にかかる事務のうち判定基準の策定を矢島に分掌させ、また、個別の長期療養患者に関する判定を第一次判定会議の構成員と第二次判定会議の構成員に分掌させていたのであるから、その事務を分掌する前記矢島及び前記地方労災医員五名が前掲2(二)及び3記載の注意義務を履行しているか否かを確認し、注意義務に違反しているときはこれを是正する義務を負っていたものであるところ、同局長は右義務の履行を怠り、もって、八六五通知を発し、さらに、第一審原告につき第二次判定会議の結論にそって措置するよう第一審被告労基署長を指揮したものであるから、過失があるというべきである。

5 第一審被告労基署長の具体的過失

第一審被告労基署長は、前掲1(三)記載の基本的注意義務を負っていたものであるところ、自らの名において本件治癒(症状固定)認定に関する通知を第一審原告と事業場に発送し、また、本件不支給処分をなしたものである。

本件治癒(症状固定)認定及び第一回不支給処分に関して、前記矢島が前掲2(二)記載の注意義務の履行を怠り、前記地方労災医員五名が前掲3記載の注意義務の履行を怠り、また、東京労働基準局長が前掲4記載の注意義務の履行を怠っていたものであるところ、第一審被告労基署長は、これとは独自に担当医師の臨床所見を参酌し、これを重視して検討を行い、主治医が未だに治癒(症状固定)していないと診断している場合は、この診断が誤診であり治癒していることを確定的に認めることができる場合でなければ治癒(症状固定)と認定してはならず、これに反する東京労働基準局長による指揮に対しては自らの調査検討結果に基づき禀伺してその変更を求める注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、何らの検討も行わず治癒(症状固定)と認定したものであるから、過失があるというべきである。

さらに、昭和五八年三月三〇日付治癒(症状固定)認定の通知を発したとしても、第一審被告労基署長は、被災労働者より治癒(症状固定)していないことを理由とする補償給付の請求を受けた場合、右治癒(症状固定)認定に誤りがなかったかどうかを確認するべく、右主治医の診断が誤診であり治癒(症状固定)していることが確定的に証明できる場合でない限り、右治癒を理由に不支給処分を行ってはならない注意義務を負っていたと解するのが相当であり、本件においては、主治医橋本医師の未だ治癒(症状固定)しておらず、療養を継続する必要があるとの診断が存在していたにもかかわらず、第一審被告労基署長は、第二回以降不支給処分の各時点において何らの検討も行わず、右注意義務を怠り、第一審原告の疾病は昭和五八年三月三〇日をもって治癒したとして本件不支給処分を行ったものであるから、過失があるというべきである。

第二第一審被告ら

一 労災保険法上の給付に係る支給要件の主張・立証責任と治癒認定について

1 労災保険法は、業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡に対して迅速かつ公平な保護をするため、必要な保険給付を行い、あわせて、業務上の事由又は通勤により負傷し、又は疾病にかかった労働者の社会復帰の促進、当該労働者及びその遺族の援護、適正な労働条件の確保等を図り、もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的としている(同法一条)。

同法における業務災害に関する保険給付(同法一二条の八第一項)は、もともと、使用者の労働基準法上の災害補償責任の責任保険的機能を果たすために発足したものであり、同法八四条一項によれば、現行労災保険法においてもその性格は基本的には維持されている。

即ち、労働基準法は、使用者の無過失責任としての災害補償責任を規定したが、これは個別使用者の責任に止まっているため、被災労働者が十分な補償を受けられるよう、労災保険法は、政府が管掌する保険事業の運営を通じ、災害補償責任の履行を担保し、あわせて民事上の損害補償制度による損害回復の困難性を克服し、もって労働者の保護を図ったものである。

2 しかして、業務災害に関する保険給付は、傷病補償年金給付を除くほか、労働基準法七五条から七七条まで、七九条及び八〇条に規定する各災害補償の事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者等の請求に基づいて行われる(労災保険法一二条の八第二項)ところ、右請求は、被災労働者が使用される事業所を管轄する労基署長に対し、補償給付請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明することのできる書面を添付してしなければならないものとされている(同法施行規則一二条一項、二項、一二条の二第一項ないし第三項、一三条一項、二項)。

また、右請求を受けた労基署長は、事実関係を調査の上、支給又は不支給の決定を行い、右支給決定により被災者等は、初めて具体的金額の保険金給付請求権を取得するのであって、労災保険法又は労基法所定の給付事由の発生によって、直ちに右給付請求権が発生するものではないと解される。

3 労災保険法における右給付請求手続等によれば、各請求に係る保険金給付請求については、これを請求する側において、受給要件ないし受給資格を証明すべきものとされていることが明らかである。

このことは、労災保険法上、労基署長を含む行政庁に、保険給付を受け又はこれを受けようとする者に対する必要事項に関する報告命令、受診命令及び診察担当医師に対する報告、提出命令等が認められていること(同法四七条、四七条の二、四九条等)からも明らかであり、遡って労基法七五条一項が、療養給付又は療養補償給付につき、「必要な療養」又は「必要な療養の費用」に限り、その負担を使用者に求めていること、また休業補償給付も、右必要な療養のため、労働することができないことを支給要件としていること(同法七六条一項)からも明らかであるといわなければならない。

したがって、療養補償給付又は休業補償給付の受給を受けようとする被災者等は、請求にかかる給付につき、自己に右受給資格の存することすなわち療養が必要であることを証明しなければならないというべきである。

4 ところで、療養補償給付及び休業補償給付は、傷病につき、療養を必要としなくなるまで、即ち「治癒」の状態まで行われ、治癒したときは、障害補償給付の問題となる(労基法七五ないし七七条)。

それゆえ、傷病が治癒したかどうかは、災害補償において重要な意味を有するが、治癒の認定は、あくまでも、保険給付を行うべきか否かの行政処分の前提となる事実認定に過ぎず、治癒認定通知も、右認定事実の観念の通知にすぎないから、それ自体、行政処分に該当しないとすることは、確定した判決の立場である。

したがって、治癒認定を介在させている不支給処分について、その適法性が争われている行政訴訟事件においても、不支給が正当であったこと、換言すれば、請求時点において被災者が「治癒していたこと」を処分者側で主張立証すべきものではなく、一般の給付請求の場合と同様、請求者側で、各請求にかかる給付につき、「療養の必要性があった」ことを主張立証しなければならないことは、前記各規定の体裁に照らし、明らかである。

以上のとおり、各請求を理由あらしめる事由の主張立証責任が、各支給の時点において第一審原告にあり、本件治癒の判断が独自の処分としての性質を有しないものとすれば、第一審原告は、各不支給処分の時点において、第一審原告に療養の必要性があったことを主張立証すべきである。

なお、第一審原告は、第二回以降の支給手続が異なると主張するが、被災労働者側に療養の必要性についての立証を不要としているものと解することはできない。即ち、費用請求に係る第七号様式には、傷病の部位、傷病名、傷病の経過の概要、療養の内容の各欄とともに、医師の証明欄が設けられており、この記載は「療養の事実」、「療養の必要性」に対する主治医の証明にほかならない。つまり請求者の支給要件の立証方法を簡易化しているものにすぎず、請求者側に立証の責任を負わしめていることに変わりがないのである。

二 本件不支給処分の適法性

1 はり・きゅう施術の保険法上の扱いについて

(一) 労災保険法一三条二項かっこ書きの趣旨と療養補償給付の範囲

労災保険法一三条二項かっこ書きは、労災保険法上の支給範囲は、政府が必要と認めるものに限られることを明示し、療養(又は療養補償給付)の範囲につき、政府の裁量権が及ぶことを規定している。

右政府裁量権規定の趣旨は、労災保険法及び各種給付制度の趣旨及び関連法令との関係等から、医学的知見の進歩に応じた適切な療養方法を給付の対象とすることを可能ならしめるとともに、個々の傷病の治療に必要な療養方法とその範囲を労災保険法の制度趣旨に則って適切に画することを保険管掌者としての政府に認めたものと解するのが相当である。

しかして、政府が必要と認める療養とは、個々の傷病について、身体機能の回復を図るために必要な療養であるかどうかによって判断され、一般的には、当該療法の効果が現在の医学上一般に承認されているもの、換言すれば治療手段として確立されているものを意味し、実験段階にあるものや研究過程にある治療手段はこれにあたらない。

したがって、当該療養の効果が医学上一般に承認されていない治療により、たまたま、効果が認められた場合や、通常の治療の必要性を大幅に越えて、主治医が当該療法の必要性を認めたに過ぎない場合は療養補償給付の範囲に含まれないものとして、政府は支給を行わないことができるのである。

注意すべき点は、国民健康保険法上、はり・きゅう施術が療養又は療養補償の給付対象とされているのは、慢性病(神経痛、リウマチ等を主としてそれらの同一範疇と認められる頸肩腕症候群、五十肩及び腰痛症等慢性的な疼痛を主とするものを含む。)であって、保険医療機関における療養の給付を受けても治療効果が現れていないと判断されたもので、はり・きゅう施術を受けることが適当であると医師が認め、これに同意したもの、即ち、一般医療の効果が認められないもので、その後遺障害としての疼痛等の改善に向けた施術に限られていることである。

(二) 労災保険法上のはり・きゅう施術の取扱い

労災保険におけるはり・きゅう施術の取扱いは、従来、健康保険に準じて取り扱ってきた。即ち、健康保険上のはり・きゅう施術の取扱は、医師による適当な治療手段がないもので、神経痛、リウマチ等及びこれら疾病と同一範疇と認められる類似疾患に限り、昭和四七年二月末までは三か月、同年三月以降については六か月・合計回数六五回を限度に給付を行うというものであり、労災保険上の給付も右の範囲内において認められていたにすぎないものであった。はり・きゅうについては、本来作用機序・効果等が明らかでなく、当然には療養補償給付の対象とならないものであるところ、政府が、被災労働者の希望や専門家の意見さらに健康保険における取扱い等をも踏まえ、労災保険法一三条二項の裁量権に基づいてその対象としたものであるから、その範囲については政府の裁量に委ねられているものである。

2 三七五号通達の策定経緯と趣旨について

労働省は、労災保険法上、これまで健康保険に準拠して一定限度において認められてきたはり・きゅう施術に対する給付を、対象(一般医療との併行施術)及び給付期間の面から一層充実させるため、原則九か月、最大一年間の理学療法等一般医療との併行施術を認めるとともに、一般医療の効果がもはや期待できないと認められた単独施術についても、原則九か月、最大一年間の給付を認めることを内容とする三七五号通達案を策定し、昭和五七年五月三一日付けで三七五号通達及び関係通達・事務連絡を発出した。

これにより、一般医療と併行して、一定の要件のもとに、これまで給付を認められなかったはり・きゅう治療の併行施術が認められることとなったほか、一般医療の効果が認められなくなったものについても、その後遺症状につき、改善が期待されるものについては、従来、健康保険準拠の結果、六か月を限度に認められていたにすぎなかったはり・きゅう治療の単独施術についても、最大限一二か月の施術について給付が行われることとなり、健康保険における給付水準を大幅に上回る給付が正規に認められることとなった。

3 八六五号通達の策定経緯と内容について

東京労働基準局管内労災補償監察官は、三七五号通達等に基づくはり・きゅう施術に対する適正給付の実現を図るとともに、長期療養者に対する適正給付を実現するため、主としてはり・きゅう施術の長期療養者(概ね三年以上)の実態把握を行ったところ、通達実施時期に提出されるべき医師等の診断書の提出が行われないままになっていたり、はり・きゅう施術の単独施術か一般医療との併行施術かが判別し得ない事態が発生し、三七五号通達の円滑な実施に支障をきたす例が相次いだため、東京労働基準局は、同通達の実施に遺憾なきを期し、あわせて労災保険法上の給付にかかる全体的な視野から、併行施術の有無及び症状固定の判別を行うことを目的として、矢島労災補償監察官を中心として、八六五号通知案を策定し、昭和五七年一二月二二日付けで八六五号通知を管内の労基署長あて発出した。

右通知には、はり・きゅう受療者個人別判定表の作成要領、第一次判定会議、第二次判定会議における審議方法と検討事項並びに判定基準として具体的判定事項とその判断方法の細目等が定められている。

4 第一次、第二次判定会議の開催と検討状況について

(一) 第一次判定会議について

(1) 各労基署及び東京労働基準局は、前記八六五号通知の作成要領に従い、はり・きゅう受療者個人別判定表を作成するとともに、これらの記載の資料となった過去一年分の請求書(七号様式、八号様式)、レセプト、主治医及びはり・きゅう師からの診断書・意見書をとりまとめの上、前記個人別判定表とともに、第一次判定会議の各人別資料として準備した。

(2) 第一次判定会議は昭和五八年一月二四日から同月二八日までの五日に渡り、各労基署ごとに日時を指定して行われたが、第一審原告については、同月二四日、他の五八名とともに第一次判定会議にかけられ、管轄労基署の労災担当主務課長が個々のはり・きゅう受療者について、前記資料に基づいて個別的説明を行ったのち、東京労働基準局の労災管理課長、はり・きゅう、鍼療師及び各労基署担当の各労災補償監察官が、右資料に照らし、逐一質問を行い、八六五号通知の判定基準に従って総合判定を行うという形で進められた。

同判定会議においては、過去一年間の治療実績、特に通院回数及び同一の治療内容が反復継続されているかどうか、主治医及びはり・きゅう師の診断書、意見書の記載内容、請求書中の傷病の経過の概要欄の記載内容等を重視し、前記八六五号通知の判定基準に照らして一般医療の継続の要否、はり・きゅう施術の継続の要否を総合的に判断した上、個々の受療者を同通知の〈1〉ないし〈5〉に分類する作業が行われた。一般医療とはり・きゅうの併行施術かはり・きゅうのみの単独施術かの区分については、八六五号通知の施行期日における診断書の提出の有無を考慮した上で、これがないものについては、理学療法との併用が認められても、その実績が少ないか、単純な療法に終始しているものについては、はり・きゅう施術が主体であり、数少ない再診時に漫然と同一の理学療法が付加されているものとして、実質的にははり・きゅうの単独施術のみが行われているにすぎないもの(単独施術者)として区分することとした。第一審原告については、前記診断書の提出がなく、過去の治療実績内容等に照らし、実質は単独施術であると認められ、三か月のはり・きゅう継続を認める〈4〉に該当する者と判定された。

(二) 第二次判定会議について

第二次判定会議は、第一次判定会議において前記〈4〉及び〈5〉と判定された者について、第一次判定会議の結果が医学経験則上の合理性を保持しているか否かを確認するため、昭和五八年二月七日に開催された。

当日の会議の進行は、約一週間前に第一次判定会議と同じ個人別の資料が各労災医員に配付され、これにつき、予め各医員が検討してきたところに基づき、主として問題のある受療者について、各医員から質問を行い、意見を述べるという形で行われ、約二〇名につき、医員からの指摘がなされたが、打切りないし支給制限について反対する意見は全くなく、第一審原告についても、第一次判定会議の結果が医学経験則上妥当性を欠く旨の指摘はされなかった。

5 第一審原告の個人別判定表及び判定資料にみる第一審原告の療養の必要性

(一) 第一次、第二次判定会議において検討の対象とされたのは、過去一年間の療養補償給付たる療養の費用請求書、これに添付されていたはり・きゅう院の領収書、東京労働基準局に提出された大師病院のレセプト、休業補償給付にかかる傷病の状態等に関する報告書、これに添付されていた大師病院の診断書、昭和五七年八月一〇日付け大師病院のはり・きゅう診断書、はり・きゅう師の同年一二月九日付け意見書、大師病院の昭和五八年一月二六日付け意見書(但し、最後者は第一次判定会議後、第二次判定会議前に提出されたものである)及びこれらの内容を一覧表にした個人別判定表である。これによると、昭和五六年一一月から同五七年一一月までの一年間における第一審原告の通院回数、診療実日数は合計一七回(月の単純平均一・四回)で、月に八回分程度の内服薬の投与、消炎・鎮痛を目的とした理学療法(ホットパック)が一三回、その間にCMI検査等が三回行われたにすぎず、同一療法の繰り返しであり、傷病の経過欄には、一年を通じ、定型的に「加療により症状徐々に軽減するも引きつづき加療を要す、体操指導をする」(大師病院レセプト)、「加療により症状徐々に軽減するもひきつづき加療を要す、尚針灸治療に同意する」(費用請求書中の傷病経過の概要欄)との記載がなされている。

その療養の中心は、月一〇回内外のはり・きゅう治療であり、第一審原告に対しては、その間の全日数に対し、休業補償給付が支払われている。

はり・きゅう師の意見書には、「主訴として、左右腕のだるさ及び動きの悪さ、頭痛、眼痛、背部(特に肩甲骨内側)の痛み、腰部痛あり、手足の冷え、不眠等が、意見として、初診時に比べ頸部は楽になり痛みの出る回数が減り、手足のむくみ等が軽減し、背部肩甲骨内側の痛みは一進一退で、症候は施術後は軽減しているが持続性がなく、かなり重い障害である。日常規則的な生活を今まで通りに確立し、体操及び運動療法及び施術を行えば症状改善の効果の可能性大」との記載があり、また、主治医の意見書には、「頸、肩、背、腰部のこり、倦怠感、疼痛、同部の筋緊張、硬結、症状はなおかなり不安定であるが、全体として改善されつつある、運動機能障害は認められない、運動療法を主とし、月九ないし一二回はり・きゅう治療を行っている、諸症状はなお改善を期待できる、諸症状の改善が期待できるが、はり・きゅう治療の併用により、なお、一層の効果が期待できる。」との記載があるほか、昭和五七年八月一〇日付けはり・きゅう診断書には、症状として「頸、肩、背、腰部のこり、疼痛」と、治療目的及び治療期間等欄には「難治性の上記諸症状あるため、今後数年間はり灸の施術を要する」との記載がある。

しかしながら、主治医等が指摘する運動療法については、保険給付の対象となる理学療養士の指導のもとにおける正規の運動療法が行われていたものでないことは、レセプトの請求欄をみれば明らかであり、その実態は、再診時に生活上の指導として「運動を指示した」に止まるものである。

(二) 第一次判定会議の構成員は、前記のとおり、従来の約三年間にわたる支給実態を踏まえ、第一審原告につき、徒に同一の療法が繰り返し行われており、その間の症状に変化がないものと認められたこと、通院回数が少なく、理学療法についても回数が少ないことから実質的にははり・きゅう施術に依存した単独施術者であると認め、治療に対し、有効に反応が見られない治癒の状態にあると認めたが、行政上的配慮により、なお三か月程度のはり・きゅう施術を認めたものである。

(三) また、第二次会議の構成員である医師らは、そのときに提供された資料で十分判定が可能であり、治療内容が一年間を通じて変化がなく、治療効果についても画一的な記載がなされているだけで変化がないと認めざるをえないこと、はり・きゅう施術の効果が短時間しか持続しないこと等から、第一審原告についてはこれ以上の同様の治療を続けても効果がない、症状固定の状況にあることは明らかであると判断した。

(四) 以上のとおり、過去一年間にわたる第一審原告の治療内容をみただけでも、もはや症状が固定しており、治療に対する有効な反応がない状態であることは明らかであり、過去三年にわたる同一療法が繰り返されていることを合わせ考慮すると、第一次、第二次判定会議の判定は相当であるというべきで、「難治性の症状があるため、今後数年間はり・きゅうの施術を要する」といった主治医の診断は、到底信頼を置くことができない。

6 結語

以上のとおり、昭和五八年三月三一日の時点で第一審原告は治癒の状態にあるとの判断を前提として行われた第一回不支給処分に何らの違法はない。また、本件不支給処分の理由とされた昭和五八年三月三一日をもって治癒とする旨の判断の正当性の主張・立証により、当然に本件各不支給処分の正当性が維持されるという結果となるが、第二回ないし第九回不支給処分の適法性について考えるに、先行する治癒の判断を前提として、費用請求書に記載された傷病の経過等、添付書類から判明する療養内容と療養の経過によると、本件治癒の通知がなされた直後こそ、診療実日数が若干増えているものの、その後は月二ないし三回の診療とはり・きゅう施術であり、昭和六〇年四月からは診療実日数は月一回となり、傷病経過の記載も画一的で、専らはり・きゅう施術に依存していたことが明らかであり、このような療養の実態は、本件治癒の判断の前後を通じて変わることはない。したがって、第一審被告労基署長は、昭和五八年三月三一日「治癒」との判断が行われたことを前提とし、各不支給処分の時点において同被告が把握した第一審原告の療養の日数、診療実日数、傷病の経過の概要、療養の内容などの事実を総合判断し、もはや療養に対する効果は認められないものとして第二回ないし第九回の不支給処分を行ったものであり、右各処分に違法のないことは明らかである。

三 本件治癒認定と本件不支給処分に関する過失責任

1 東京労働基準局長の過失について

第一審原告は、東京労働基準局長が八六五号通知において、一般医療の範囲を理学療法に限定した上、一般医療とはり・きゅう施術との併用者によって療養効果が期待できる者についての区分を排除し、恣意的に区分するよう指示し、また、個人別判定表につき、過去一年間の資料に限定するなどしていたずらに簡略化を図り、詳細な調査をなすべきこと指示しなかった過失がある旨主張する。

しかしながら、八六五号通知が理学療法とはり・きゅう施術の併用を規定しているのは、理学療法以外の一般医療を排除する趣旨ではなく、はり・きゅう療養者の併用している一般医療が殆ど全て理学療法であったことから、これをもって一般医療を代表させる趣旨で理学療法と規定したにすぎない。

また、第一審原告は、一般医療とはり・きゅう施術の併用を一年以上にわたって認めるべきものもあるとの前提で、八六五号通知には右に該当する区分が排除されている旨主張するが、三七五号通達は、一般医療とはり・きゅう施術との併用の最大限度を一年に限定しており、同通達上、一般医療については限定がなされていないものの、はり・きゅう施術について一年を越える一般医療併用者は予定されていない。

さらに、八六五号通知は、三七五号通達の適用上、九か月経過者に対する取扱いを規定したものであるから、一般医療の継続を認めつつ、最大限一年のはり・きゅう施術を認める区分を規定すれば足り、むしろ一年を越えるはり・きゅう施術の併用を規定することはできないのである。

また、個人別判定表に記載すべき事項を過去一年間の資料に基づく一年間の事項としたのは、元来はり・きゅう施術の長期療養者として概ね三年以上の療養者を第一次判定会議の対象として選別したものである上、これらの者については例外なく同様の一般医療及びはり・きゅう施術を受療してきた者であるため、過去一年間の療養経過、症状経過等を具体的に把握することによって、これらの対象者の療養経過、症状経過が十分に把握できるとの判断に基づくものである。

よって、この点に関する第一審原告の主張は理由がない。

2 第一次判定会議の構成員の過失について

第一審原告は、第一次判定会議においては、過去一年間の資料に限定して検討すべきでなく、特に難治性頸肩腕症候群については、業務上認定にいたるまでの負荷、発症から休業にいたるまでの経過及び過去一年分に限定されない全治療経過を検討すべき注意義務があったと主張する。

しかしながら、右のとおり、第一次判定会議の対象者の選別の過程において、長期療養者であり、はり・きゅう施術が継続されていることは把握されており、他方、療養の必要性判断においては過去一年間分の資料の検討が重要であり、また、治癒の行政解釈からも、過去一年分にわたる検討をもって足りると判断された結果であるから、第一次判定会議の構成員に業務上認定前又は過去一年以上に遡って資料を収集、検討すべき注意義務はないものというべきである。

3 第二次判定会議の構成員の過失について

第一審原告は、第二次判定会議の構成員は、判定基準と前記資料の収集方法及び第二次判定会議の判定方法についても検討すべき注意義務を負っていたと主張するが、第二次判定会議は、第一次判定会議におけると同様の資料に基づき、第一次判定会議の結果が医学経験則上の合理性を保持しているか否かを確認することを目的とするものであるから、右医学経験則上の合理性判断の過程において、判定基準や資料収集方法自体の相当性についても検討することが可能であることは当然である。しかしながら、担当医師からは、これらについての問題点は何ら指摘されず、かえって第一次判定会議の結果につき、それぞれの専門的見地から医学経験則上の合理性を肯定したものであるから、第一審原告主張の過失はない。

4 第一審被告労基署長の過失について

第一審原告は、第一審被告労基署長は、治癒の通知に当たり各担当者が前記注意義務を尽くしているか否かを確認し、また右各注意義務違反を発見するなどして、治癒の通知を行ってはならない注意義務を負っていたと主張するが、前記のとおり、各担当者に注意義務又はその違反がない以上、同第一審被告に主張に係る過失がないことは当然である。

また、第一審原告は、本件不支給処分に当たり、第一審被告労基署長らは、費用請求書以外に発症からの全資料を収集し、再調査を行うべき注意義務がある旨主張するが、第一審原告については、既に昭和五八年一月二四日の第一次判定会議及び同年二月七日の第二次判定会議において「はり・きゅう受療九か月経過者」として、その取扱いを如何にすべきかが検討された結果、同年三月三一日をもって治癒したものとする旨の判断がなされているのであるから、右治癒の判断を前提として、費用請求書の記載に基づき、その後の療養経過及び症状経過を把握すれば足り、再発等他に治癒の判断を覆すべき事情がない限り、再度の調査及び再度の検討を行うべき注意義務がないことも当然である。

5 本件不支給処分と訴外銀行の休業補償打ち切り及び賞与の減額査定による第一審原告の損害との間には何らの因果関係はないから、この点からしても、第一審被告国に対する損害賠償請求は理由がない。

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